「教育の現代化」とか「探究学習」がもたらしたものは、新幹線に乗れなかった「落ちこぼれ」。オイルショックで高度経済成長が終焉を迎え、高学歴でもいい会社に入れて人生ハッピーとはならない時代になりました。
そうして価値観の多様化する中、子どもの問題行動が社会問題化するようになり、人間性を取り戻すことが課題となりました。
そう、「ゆとり」の時代の到来です――。
一言も言ってないんだけど…
「ゆとり」という言葉は、小学校,中学校及び高等学校の教育課程の基準について(答申)〔昭和 51 年 12 月 18 日〕で「ゆとりのあるしかも充実した学校生活が送れるようにすること 」というところに発する言葉です。
なお、「ゆとり」は使われていても、「ゆとり教育」という言葉は、平成16年3月31日の衆議院・文部科学委員会で河村建夫文部科学大臣「ゆとり教育、ゆとり教育、こう言われます。ゆとり教育という言葉をきちっと文部科学省が定義づけたことは一度もないのでありますが、(後略)」とか、平成19年5月31日 参議院・文教科学委員会で伊吹文明文部科学大臣が「文部科学省はゆとり教育という言葉は一度も使ったことはございません。」とか言っていて、文部科学省サイドではこの言葉を基本的に使っていません。しかし、あまりにも周りが「ゆとり教育」を連呼するので、伊吹大臣も「ゆとり教育と言われる学習指導要領」「ゆとり教育と言われる総合学習」「いわゆるゆとり教育の問題」と「ゆとり教育」という言葉を使って答弁せざるを得ない状態になってしまいました。
正式に公的文書として登場したのは平成19年1月24日の教育再生会議による社会総がかりで教育再生を~公教育再生への第一歩~―第一次報告― で、 「ゆとり教育」を見直し、学力を向上する、 と提言しています。
ちなみに教育再生会議(2006-2008)、および教育再生実行会議(2013-2021)は、内閣総理大臣の私的諮問機関なので、管轄は文部科学省ではなく内閣官房。ですが、教育再生実行会議担当室は虎ノ門にある文部科学省の15階にあって、文科省に別の用事で行ってきた際に記念撮影してきましたw
小学校 学習指導要領 昭和52年7月
中学校 学習指導要領 昭和52年7月
高等学校学習指導要領 昭和53年(1978)改訂版
ということで昭和52年(高校は昭和53年)の改訂です。施行は小学校が昭和55年、中学校が昭和56年、高校が昭和57年のそれぞれ4月からです。
ゆとりある充実した学校生活の実現
1 道徳教育及び体育の重視
2 内容の精選と再構成(集約)
3 学校生活全体にゆとりをもたせるため,授業時数を削減
4 昭和44年の各教科の目標は総括的な目標のもと、3~5個の具体的な目標がありましたが、今回の改訂で総括的な目標のみに絞られました。
教科・科目ごとの習熟度などに応じた学級の編成(高等学校)
第1章 総則
第7款 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項
6(5) 各教科・科目の指導に当たっては,生徒の学習内容の習熟の程度などに応じて弾力的な学級の編成を工夫するなど適切な配慮をすること.
「ゆとりの時間」の導入
授業時数の削減されたからといって、早く帰れる、というわけではありませんでした。在校時間は変わらない前提の下に、学校の教育活動にゆとりをもたせ、地域や学校の実態に応じて創意を生かした教育活動が活発に展開できるようにすることをねらいとしたものです。つまり、余った授業時間を学校裁量でうまく使ってねというわけです。ただし、この時間については学習指導要領には記載されていません。
「君が代」が国歌に
昭和44年の小学校学習指導要領の音楽では、第3 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取り扱い に
「君が代」は,各学年を通じ,児童の発達段階に即して指導するものとする。
となっていたのですが、昭和52年版の同じところには、
国歌「君が代」は,各学年を通じ,児童の発達段階に即して指導するものとする。
と、はれて国歌となりました。
あわせて、特別活動のところでも
昭和44年中学校:
国民の祝日などにおいて儀式などを行なう場合には,生徒に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに,国旗を掲揚し,「君が代」を齊唱(せいしょう)させることが望ましいこと。
※小学校では「生徒」が「児童」になり、なぜか最後の「こと」とがついていない。高等学校では、せいしょうのフリガナはなく、この後に、なお,儀式の内容については,従来の慣習だけにたよったり,単に形式的なものになったりすることのないよう配慮すること。と続く。
昭和52年:
国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には,生徒に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに,国旗を掲揚し,国歌を斉唱(せいしょう)させることが望ましい。
※小学校では「生徒」が「児童」になり、高等学校では最後に「こと」がついています。なお、昭和44年の「なお…」はついていません。
と、「君が代」が国歌と変わっています。
中学校学習指導要領 第2章 第4節 理科
それでは中学校理科はどうなったのでしょうか。単元を見てみましょう。ちなみに授業時数は1.2年が105(前回は140)、3年が140(前回も140)です。
〔第1分野〕
(1) 物質と反応
(2) 力
(3) 物質と原子
(4) 電 流
(5) 物質とイオン
(6) 運動とエネルギー
〔第2分野〕
(1) 生物の種類と生活
(2) 地球と宇宙
(3) 生物の体の仕組み
(4) 天気の変化
(5) 生物どうしのつながり
(6) 地かくとその変動
(7) 人間と自然
改訂のポイントは以下のような点です。
(1) 理科に関する知識や概念の形成について
理科に関する知識や概念の形成が無理なく行われるように,44年版では1年生で扱っていたエネルギーのような抽象度の高い内容に関する事項は,高学年に移しました。
(2) 内容の精選と再構成について
運動の第2法則/イオンの反応の一部/地球,月及び太陽の大きさの測定/動植物の分布,遷移 などを削除、化学変化の量的関係/原子の構造/地かくの変化と地表の歴史 などについて扱いを軽減しています。また、第1分野「身の回りにある物質」,第2分野「学校の近辺や郷土の自然の中の生物」など身近な事物・現象を取り上げ,生徒に興味や関心をもたせるように改めています。
(3) 自然と人間とのかかわりについて
第1分野では,最後に,資源,エネルギーについてのまとめの項目を設けました。また,第2分野では,特に大項目として「(7) 人間と自然」を設け,その中で「人間の生存を支える物質とエネルギー」,「自然界のつり合いと環境保全」の二つの中項目を設けて充実を図っています。元祖「第7単元」ですな。
学習指導要領の第1分野(いわゆる物理と化学)、第2分野(いわゆる生物と地学)、それぞれの分野における7番目の単元。
義務教育の最後にあたり、小中学校の理科で学んだことを統合し、社会に生かしていく…っぽい狙いもきっとあるのだと考える。そのため、いろいろな工夫をした授業展開が考えられる。
一方、この単元でおさえるべき(テストに出そうな)必須の知識というものが何なのか明確でないこと、調べ学習があって面倒なこと、あまり理科っぽくない(社会科っぽい)内容も多いことから、この単元をどう指導・展開するかに悩む先生も多く、加えた学習する時期が3年生の受験や卒業をひかえる頃にぶつかり、高校入試での出題頻度も高くないため、適当なビデオ教材の視聴でお茶を濁すことや、入試問題演習に切り替えて、この単元の学習自体を華麗にスルーすることも少なくないとみられる。
高等学校学習指導要領 第2章 第4節 理科
さて高校はというと、
「理科Ⅰ」(4) 「理科Ⅱ」(2) 「物理」(4) 「化学」(4) 「生物」(4) 「地学」(4) というシンプルな構成です。(かっこの数字は単位数)
必修科目は「理科Ⅰ」だけですが、中学校と同様に、物化生地それぞれの単元を含んでいます。ところが、物化生地それぞれ自分の専門をもち、専門外の分野を教えたがらない高校の先生方には不評だったようで、「中学4年生」という批判があるという話を教科書会社の営業の方から伺ったことがあります。
そういえば自分が高校生だったときに、この「理科Ⅰ」を履修していたのですが、1年で「理科Ⅰ」といいながら生物の先生と地学の先生が週2時間ずつそれぞれ自分の専門をやっただけで、物理と化学の単元は2年になって「物理」「化学」(どちらも必修3単位)の中でそれぞれの専門の先生がやっていました。
今にしてみれば、「物理」とか「化学」ではなく「理科」の教員免許を持っているくせに、専門しか教えない(教えられない)ってどうなの?と思うところもありますが、同様のことは東大で教授だった地球物理学者であり、今でも生き残っている科学雑誌「Newton」の初代編集長でもあり、なぜか代々木ゼミナールのいくつかの校舎の校長までしていた竹内均先生も当時指摘していました。で、その竹内先生はNHKの高校講座「理科Ⅰ」の講師を一人でやってのけ、のちの「竹内均のベーシックサイエンス」という名著につながっていきます。
メンデルの法則についての回で、コンピュータでシミュレートしたら3:1から大幅に外れてしまったとき、「ま、こんなこともあります」と軽くスルーしていました。
ちなみに「理科Ⅱ」は研究課題を設定して観察,実験や調査研究を行うので、現行の指導要領にある「理科課題研究」みたいな科目です。ただ、当時調べた限りでは「理科Ⅱ」を開講している学校は見つけられなかった記憶が。
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