1269 コツピー紙と太平紙
日本紙製品種類標本にあった2つの紙についての未解決だった2つの課題が解決しました。
1. コツピー紙とは何か。
この標本は大正時代ものと推定されます。ところが大正時代の日本にコピー機なんて存在していませんでした。
にもかかわらず「コツピー紙」。どういうことでしょう。コツピーとは現在のコピーcopyのことではないのでしょうか?!
ということで調査。
新谷出来太郎 述 (鳥取県, 1898)「紙業講話筆記」には、
コツピー用紙は複寫に用ゆる紙なれば原料をもっとも緻密に煮立て…
と、コツピー用紙のコツピーはやっぱりコピー(copy 複写)の意味のようですし、やはり実在していたようです。
小栗捨藏・ 武井宗男「日本紙の物理的性質」応用物理1940 年 9 巻 4 号 p. 154-158
には、鳥の子類 として鳥の子,色鳥の子,赤色 コツビー紙,コツピー紙,下等コツピー紙が分類されていました。
そして、大正14年(1925年)の村越三千男 編「大植物図鑑」(コマ番号217/804)には
近時「コツピー」紙即ち寫字用紙として需要多き紙は雁皮紙の改良製法によりて發賣せられたるものなり。
なるほど写字用紙ですか…。
どうもコピー機ではなく、手書きで字を書き写す時に使う紙、それがコツピー紙ということでファイナルアンサー。
2.太平紙とは何か。
こちらは少々手ごわく、google先生も太平紙業という企業のことしかわからないらしい。
そこで、北区の紙の博物館まで行ってきましたよ。
学芸員さんに聞いてみたら、すぐに久米 康生「和紙文化辞典」わがみ堂,1995を調べてくれました。そこにあったのは
たいへいし[泰平紙・太平紙]
ミツマタを主原料と市、胡粉(ごふん)・顔料を混入して漉き、皺紋のある三尺×六尺の、いわゆる三六版の紙。江戸で和唐紙をはじめた中川儀右衛門が開発したという岩石唐紙つくりの技法を改良してつくったもの。岩石唐紙は流し込み式の漉き方で自然にできた皺紋であるのに対し、中野島(川崎市多摩区)の田村文平が流し漉きして手でたたいたり縮めたりして皺紋を強調したのが泰平紙で、襖障子・壁装用あるいは敷物用として売り出して著名となった。天保十四年(一八四三)に創製し、将軍家斉の上覧に供したとき、「泰平の世にできた紙」という意味で、泰平紙の名が生まれたという。(中略)昭和初期まであった。
これですよこれ。この凸凹模様は皺紋というのですね。コツピー紙のように字を書くものではなく、襖障子・壁装用あるいは敷物用というのも納得です。
それにしても瞬殺。懸案が解決した以上に、プロは違うなと感心しました。
ちなみに、「泰平紙」でgoogle先生に聞くと、Wikipediaの「唐紙」のところに、
岩石唐紙の皺紋をさらに工夫改良して、皺紋をより目立たせたものが、泰平紙(太平紙)である。漉くときの流し込みの時に、四隅に簀よりはみ出すように漉きあげ、水を濾し終わった湿紙の時に、左右に引っ張ったり、前後に縮めたりを繰り返して、皺紋を大きくつくり乾燥させる。乾燥すると岩石唐紙の皺紋よりもくっきりとしたエンボス上の凹凸ができる。
『楽水紙製造起源及び沿革』によると、「天保14年(1843年)初めてこれを製し、将軍家斉公の上覧を かたじけなふせしおり、未だ紙名なきを以て、泰平の御代にできたればとて、泰平紙とこそ下名せられたれ」とある。この泰平紙は、皺紋だけでなく染色したり、透かし文様を入れて襖障子用に用いられた。泰平紙の製法について『明治十年内国勧業博覧会出品解説』によると、「漉框(漉桁)に紙料を注ぎ入れてから、竜・鳥・草花などの画紋を描き、引き上げて水分がやや滴下したときに、簀を六〜七回振り動かして皺紋をつくる。」とある。
とありました。
ひとまずこれで調査終了です。
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