2053 隙自語(1) 生まれてから高校まで

 「理科が好きになったのはいつごろですか」「どうして教員になったのですか」「子供のころ、優秀だったのでしょうね」「どうしてそんなに幅広くやっていけるのですか」「どうしてそんなにユニークなアイデアが次々と出るのですか」「他の仕事に就こうと思わなかったのですか、特に研究者とか」「なんでそんな資格をもっているのに教員やっているのですか」

 今まで何度も聞かれたのですがずっとうやむやにしてきました。こういう質問って、結局自分の過去を語らないといけないわけですが、正直、そんなもん聞いてどうすんだという気持ちがあります。とはいえ、どういうわけだかここ何年か、ポツポツと私に興味をもつ人が出始めて、冒頭のような質問を繰り出されることが増えてきました。
 まさか私のようになりたいとか、真似をしたいというのだったら全力でやめとけ、というのですが、一方で、歳をとったからなのか、ちょっと自分の経験をどこかに残しておきたいとも思うようになりました。
 ブログのネタ切れという隙もあり、自分語りをしたいと思います。

ということで生まれてから高校までを一気に!

 東京下町に生まれる。幼稚園ではなぞなそが得意で、なぞなぞ博士と言われる一方で、卒園時の先生から親の手紙で「気の弱いところもありますが」と書かれていた。

 小学校の記憶が不思議とほとんどない。代わりと言っては何だけれど、塾や習い事のお習字に行ったことはよく覚えている。
 お習字の習い事は、週1だけれども小学校1年から高1まで通っていた。ずっと一人の先生に教わっていたが、その先生はちょくちょくせき込むこともあったのでなんとなく気になっていた。中学受験、高校受験も控え、早く終わらせることを優先して手を抜くこともあったが、結局辞めずに長く続けていたこともあり、一番上の級(特待生?)まで行くことができた。高校1年の時に病気で亡くなられたときには、家族の次に長くお世話になっていたこともあり、大変ショックだったのを覚えている。先生の教室ではここまで長くいた男子はいなかったみたいで、人づてに「○○くんは、ずっとがんばっていたね」という話をあとで聞いて、もっとまじめにやるんだったと後悔した。本当に優しい方で、先生の怒った姿は一度も見ることがなかった。今思うと自分の教師像にも多大な影響を与えているような気がする。先生が亡くなって以降は、筆ペンはともかく、書道の筆をもつ機会もなかったかな。

 そして親が中学受験をさせたかったこともあり、塾については4年生の時に家の近くの進学塾に、5年からは、知る人ぞ知るTAP進学教室に通っていた。
 TAP進学教室は後に理事長ともめた中心的な講師の先生達が辞めてSAPIXを設立するわけですが、その先生の授業を受けていましたし、理事長とも話したことがあります。この頃は八丁堀にしか拠点がなかったし、多分まだ分裂とかいう話はなかったんじゃないかな。トラブルが起こる10年近く前の話だし。
 塾自体は全盛期のTAPだけあって講師の先生の半端ない授業力や問題を解くこと自体に興味を持てたことから、楽しく通えたものの、その場で考えようとするスタンスだけを貫きまくり(だからこそ算数の線分図や面積図を使った解説には小学生ながらにそのすごさを感じ取れ、のちの塾講のアルバイトに活かすことができたと思うが)、暗記が苦手、というか覚えようとすることはほとんどしなかったので、客観的に見るとTAPでS2コース、四谷大塚で準会員どまりの実力だった、といえばわかる人にはわかると思う。
 ちなみに理科については、結構単元によって差があったものの、化学領域はなんか好きだった記憶がある。

 で、中学受験をしたのだけれど、第一志望だった私立は失敗、何とか補欠で入った国立の附属へ進学する。
 で、その学校では、部活動は必ずどれかに入らなくてはいけなかった。しかし運動は苦手だったので運動部はパス。かといって文化部は吹奏楽部と科学部、美術部の3つ。吹奏楽部は楽器ができるのかという不安があり、美術部は当時女子ばかりということで、消去法で科学部に入る。ちなみにその学年で科学部に入部したのは自分ひとり。のちに他の部から流れてきた人はいるけれども、プロパーということで副部長、部長となった。学年唯一の科学部、そして部長というわけで、周囲からは理科が得意な生徒というイメージがついていた。
 しかし科学部の活動としてはアルファルファというもやしを育てたり、ひたすら重曹を加熱して二酸化炭素を発生させたり、紙粘土か何かで水鳥の模型を作ったりとした記憶はあるものの、週1~2ほどでそれほど活発ではなく、自分の理科の興味や成績にどこまでつながったか言えばあまり影響はなかったと思う。たしかに化学領域は化学式を覚えたり化学反応式をすらすら書くなど得意だったけど、生物・地学などはいまいち。おそらく私より全教科むらなくできるような生徒の方がトータルで見て理科の成績は良かったのではないか。それに自分は理科よりはむしろ数学の方が得意だったし。

 さらに高校受験して私立大学附属の高校へ入る。理科の授業は理科Ⅰの世代だが、1年で理科Ⅰ4単位をやると言いながら実際は生物と地学を週2時間ずつやっていたので、化学にこじらせていた自分にはイマイチな成績だった。2年から物理と化学になったのでようやく本領発揮できたかな。
 ところで高校では進路に関して一つ難しい選択が。化学が得意だから化学科かなと思っていたのはいいとして、この高校からエスカレーターで、大学にある理工学部の化学科に進学することは十分可能である。しかしこの大学は文系のイメージが強く、理工学部だけ微妙なところにキャンパスがあるし、イマイチパッとしない(ように当時の自分には思えた)。だったら他大を受けたい。しかし、他大を受験するということは、その結果にかかわらず、エスカレーターで大学に行く権利を放棄するということでもある。さて、どうしようか。

 結局、エスカレーターには乗らずに、他大受験に舵を切る。国立も狙ったので共通一次試験があり、5教科(ちなみに社会は倫理・政経、高校では倫理を履修しなかったものの、本番では9割越えをして安堵したのを覚えている)、理科は物理と化学をカバーする必要があった。化学と数学は得意だったものの、英語は覚悟していたけれど意外に物理も振るわず、1浪して、東京理科大学理学部化学科(受験科目は英数化、つまり物理はない)に進学した。

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