1856 文化財講座「史跡のなかの津々浦々」

 昨年、板橋にある陸軍板橋火薬製造所跡の特別公開に行ってきました。これでリニューアル前の旧野口研究所や理研板橋も見納めだろう…と思っていたところ、文化財講座「史跡のなかの津々浦々」で、遺構を見学しながら解説するという話を聞いて、速攻で申し込み、参加してきました。

加賀西公園

 文化財講座の集合場所は加賀西公園。実はここに板橋火薬製造所の本部があったのだそうです。

圧磨機圧輪記念碑

 まずは加賀西公園にある圧磨機圧輪記念碑。黒色火薬を製造する機械で、バーベルみたいな形をしているもので、真ん中の文字が書いてある円盤は記念碑として後から追加されたもののよう。こう見えて大理石製です。というのも大理石だと爆発しにくいというメリットがあります。
 そういえば、真ん中のマーク、ちんちん山児童遊園にある陸軍造兵廠電気鉄道の隧道跡にも同じマークがありました。

招魂之碑

 黒色火薬は、のちにフランス発明された無煙火薬に取って代わられるようになります。日本でもさっそく板橋火薬製造所で生産を始めました。ところが、無煙火薬は製造時に突然爆発することがあり、黒色火薬以上に厄介な代物です。
 実際に明治35年に爆発事故が起き、約10名の技手・職工が亡くなりました。その追悼のために建てられたのがこの石碑です。

理化学研究所板橋支所

前回は窓から中をのぞくだけで立ち入りができなかった7号室に入ってみました。ここに仁科型電離箱という戦前に仁科芳雄が作った宇宙線計を設置していた部屋です。



古いレンガのD棟では、ここで仁科チームが卓球をしていたという…


床にレールの跡も見られます。

庇のあるところに扉があった。しかし今は窓になったり壁になったりしているところもあります。

旧野口研究所跡

 ここ、ただの水槽だということが、アメリカの公文書館にあった資料からわかりました。もっとも火薬製造所ですから、火災が起こったときのために水槽はいくつもあったはずですが、現存しているのはここだけです。

いやぁ、歴史の謎ときも面白いんだなぁ~と実感を伴って思います。

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