大学4年の教職課程は2週間(ただし土曜日は半日授業)の教育実習のみで、現在のように「事前・事後指導」や「教職実践演習」のような科目もない。もちろん事前に大学でガイダンスはあったものの、実習校の人たちには「教職志望です」と言えとか、事後にはお礼状を出せとかいう指導もあったが、基本は社会人としての心構えや常識的なマナーレベルの話、あとは事務手続きの説明が1~2回あったくらいだったかと思う。
なので、理科大からの実習生をうけもつと、実習生に教職希望かどうかを聴くとき、「今も大学は教職希望と言えって指導しているの?」と先回りしてから「ぶっちゃけどうなの?別に教職志望じゃなくても大丈夫だよ」と言って本音をきいている。だって、自分も教育実習をやるまでは、教職に就く気さらさらなかったのに、今はコレですもん。
実習校をどこにするかは3年で決める。基本は母校実習。「協力校」といって理科大の学生を毎年教育実習に受け入れてくれる学校もあるものの、その数は少ない。それに学生側も、完全にアウェーな協力校よりも、勝手知ってて場合によっては恩師もいる母校の方が楽だというイメージもあり、母校実習を選ぶことが多かった。
ただ、自分の場合、母校で実習するのはなんか気が引けるというか「違う」と思った。むしろアウェーの学校で実習に真摯に取り組み、その代わり終わったらしがらみなく縁が切れてお互い忘れ去ることができる方がいいなと思っていた。今思えば、この辺りのビジネスライクな判断は塾講バイトの影響も大きかったんだと思う。しかし実習後までこの高校と関係が続くことは、そのときの自分には知る由もなかった。つづく。
実習では、1年生の化学を3クラスを3回ずつ、9時間の授業を担当した。このほか1年生の学級を割り当てられ、担任業務も実習をした。
指導案作成や振り返りなどは多少苦労したものの、実験については実験助手の方がいて手伝ってくれたし、何といっても授業そのものは、塾講4年目の自分には、むしろ楽しくやらせていただいた。もちろん、指導教諭の先生のご指導の下、カリキュラムに沿って。
そして、授業にも一定の評価をいただき、生徒ともいい関係を築けて、そつなく実習を終えることができました。
ところで、教育実習が終わったのが6月13日(土)。で、教員採用試験が7月19日(日)。実習前に一応中学校理科で出願はしておいたものの、その時点では、倍率も高いし対策もしていないのでどうせ落ちるだろうから当日休んでもいいかなと思っていた。
ちなみに当時、教員採用試験の倍率は滅茶苦茶高かった。東京都の教員採用試験は、高校と中学で別枠で、さらに高校は物理、化学、生物と完全に分けられていた。化学科の私の場合、高校化学か中学理科となるわけだが、高校化学は80人以上受験して1~2人合格という意味不明な倍率だったので、120人ぐらい受験して4~5人合格する(名簿登載される)というもう少しましな倍率の中学校理科を選んだわけだ。このあたりの自分の思考(志向・嗜好)・判断については改めて紹介したい。
だけど実習後にちょっと気持ちが変わった。「授業ができて、こういう生徒との関係が築けるなら教職という選択もアリかもしれない」と思い始めた。今にして思えば騙されたわけだが。
で、実習終了から教員採用試験までの1か月間、教職教養を中心に試験対策をみっちりやったわけです。
このあたりもある程度の読みはあった。教員採用試験の一次は教職教養・一般教養・専門教養とあるが、専門は理科の内容なのでこれについてはさんざん塾で鍛えた。一般教養は無茶苦茶マニアックな問題なのでやっても無駄だから捨てた。実際にやらないといけないのは教育原理や教育心理、教育法規などの教職教養だ。これを覚えこんでいけばいい。そして自分には昨年、第二種放射線取扱者試験とオンライン情報処理技術者試験(現在のネットワークスペシャリスト試験のご先祖さま)をイチから始めてひたすら過去問をくり返しやって知識を補っていく方法で1か月で合格した成功体験とノウハウがある。ちなみに合格率は放射線が約30%、オンラインに至っては7.7%だった。
1次試験。終わったものの、どのくらいとれればいいのかという情報がないので何ともいえない。ただ中学校理科でも高校の選択レベルの理科もあるので生物や地学の勉強も丁寧にやる必要があるな、と感じた。1次試験の合格通知が来たときは、試験のときに比べると教職のことから気持ちが離れ、大学院試のことが気になっていたので、合格の嬉しさよりも、院試と教採2次までのスケジュールが気になった。当時の記録をもとにここに整理してみる。
8月25~26日(火~水) 東工大院試
8月30日(日) 教員採用試験2次
9月1,2,10日 東京大学大学院理学系研究科
9月7-9,11日 東大工学研究科院試
9月15日 東京都私学適性検査
ここに、毎日ではないしろ、理科大の研究室で卒業研究も並行して進んでいる。あの頃は無茶してたな~。
2次試験は、小論文、面接、そして集団討論。面接では3人が「民間企業の方には動いてないの?」(動いてないよ!院試は受けるけど…)「自分の言うことを聞かない生徒がいたらどうする?」(マニュアルどうりの解答をさせる気か?)「スポーツの方は何もしてないの?」(う~ん、良いつっこみだ)と意地悪な質問に耐え忍ぶ。
集団討論は、こんなテーマ
東京都内に住む18~70才の男女2500人(有効解答数約1900)人に、東京に引き続き住みたいか、というアンケートをしたら、その結果は以下のようになった。
(注:数字はもう少し細かくでていました)
①どうしても東京に住みたい 20%
②できれば(条件があえば)東京に住みたい 35%
③東京に住んでも住まなくてもよい 35%
④できれば(条件があえば)東京を離れたい 7%
⑤どうしても東京を離れたい 3%
この資料を見て、次のことについて討論せよ。
1.この結果についてどう思うか。
2.東京の魅力とは何か。
3.東京の一極集中についてどう思うか。
司会も特に立てず、7人で進めていけという指示。
何を評価しているのかが不明。なので、出しゃばりすぎず、かといって影が薄くなりすぎず、過激な意見を出さす、あたらずさわらず、全体の空気を読みながら自分の意見を出していく。なんというか地雷を踏まないように気をつけながら任務を遂行するような感じかな。
そうそう、9月15日には私学適性試験を受験。これは教職と専門の2科目の試験でABC評価がなされ、その結果をもとに私立校からお誘いが来るという塩梅らしい。
実際、あとでいくつかの私立校から電話での問い合わせや郵便で採用の案内が来たのだけれど、それについてはまた今度。
そして、教員採用試験なのですが、結果ABCDと4段階あって、Aは平たく言うと内定で、Dは不合格です。問題はBとCで、Bは採用候補者名簿に掲載されるけど、採用は未確定(確実に採用されるのがA)、そしてその採用の話が来るのが3月に入ってからという、東京都に限らず採用側は高倍率を盾に調子に乗っていました。採用側から言えば、各学校の生徒の人数が見えてから教員の人数が決まり、今いる先生の異動を計画して、それで足りない分を新採で補充するため…ということらしいのですが、まあふざけんなという話ですよね。
ちなみに私はC判定、はいわゆる補欠で、採用候補者名簿に載っている人全員が埋まった上で足りなければ声がかかる、ということでこの倍率からしてまずかからないだろうし、この時にはすでに大学院進学の手続きを済ませていたところですから、何の気にも留めていませんでした。
翌年大学院に進学して、9月のこと。突然都立のE養護学校から電話があり、「9月から欠員が出たので明日面接を受けてほしい」と言われた。まさかの専任の採用とはいえ、さすがに大学院も始まっているこの段階で中退するのは…と思い、その電話で断ったのだが、断るのでも面接に来てほしいとのことで、あらためて足を運ぶ。大学院に言って研究をしていること、その後に教員になりたいという話をしたら、「理科が好きになる生徒を作って下さい」と激励されて無事に断れた。
今の自分がそのときのリクエストに応えられていたらいいのだけれども。
今思えば、あのとき就職するのもアリだったのかなとも思う。その後続けた大学院は終了したものの研究者としての適正がないことを痛感したし、さっさと教員になるのもアリだったかもしれない。面接をしてくださった校長先生・教頭先生が思ったより若く、早く出世した可能性もある。もし、大学院出ても教員に採用されなかった場合、民間に就職したものの、ちょっと壁に当たったときにきっと「あのとき学校の誘いを受けていれば…」と後悔する自分の姿も容易に想像できる。


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