1720 奥の深さと面白さと
※この記事は旧ブログで2010-09-11に更新したものであり、当時はまだ4観点評価の時代でした。
学校教育法第30条第2項
前項の場合においては、生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。
これは現在、いわゆる「学力の3要素」と呼ばれているもので、教育基本法の改正を受けて改正された学校教育法に載っているものです。
ちなみに、「だったら、評価の観点もその3要素に対応してやればいいじゃないか」という発想もごもっともです。現在では4観点ですが、「知識・技能」とまとめて3観点にするとすっきりします。
しかしそうすると、問題になるのが観点の順番。条文に沿っていけば「知識・理解」「思考力、判断力、表現力」「態度」となってしまい、現在の4観点で最初にある「興味・関心・態度」が最後に来てしまう。そうすると、「なんだ、新指導要領は知識重視で関心は後回しか」というメッセージにとられて、その結果、昭和50年代の中学校がもっとも荒れていた時代の再来を招いてしまうことを危惧して、4観点をキープしたそうです。
だったら、学校教育法の条文を「主体的に学習に取り組み、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむ」だとかなんとかならなかったのかと小一時間(ry
例によって前振りが長くなってしまいました。
というか、先日、美術の研究授業を参観しました。私は美術に関しては素人ですが、大変、よい刺激を受けた授業でした。(だからこの記事がエントリーされているわけです。)
名画の鑑賞がその授業のテーマでした。
名画かもしれませんが、すでに作者の手を離れているわけですから、鑑賞する方は自由に鑑賞していいわけです。
とはいえ、「自由に」というと何をしたらいいのかがわからないのが人間です。「人間は自由の刑に処せられている」とサルトルはよく言ったものです。自由にというか、勝手に鑑賞させると、たぶん「好き」「美しい」程度の非常に浅い鑑賞の仕方になりがちです。
そこで、鑑賞の「方法」を先生は示していらっしゃいました。つまり、枠だけを呈示して、その中には自分の思いを「自由」に入れます。枠の中に何かを入れるためには、ある視点(目的意識)を持って画と対峙することになります。ここに遠近法なり何なりの絵画のテクニックなどの知識を活用して絵画を分析することで、思考力、判断力、表現力を養う言語活動が行われ、その結果「この絵はこんな工夫がされている」「こんなメッセージを感じる」という奥の深さに気づくのかなと。
で、たぶん「深さ」というのは非常に知的な「面白さ」ではないでしょうか。
以前トリビアがはやったのも、とるにたらない、どうでもいいことにもかかわらず確固たる「意味」が存在しているという、どうでもいいことなのにここまで作り込まれているのか、と言うその世界の「深み」を示せたからではないかと思います。そしてその「深さ」に面白さを感じ、エンターテイメントとして成立した、そう考えるのです。
そしてこの「面白さ」というのは、「好き」なきもちに、ときにはちょっとツンデレ風味で「嫌い」なきもちに拍車をかけるかもしれませんが、いずれにしろ興味・関心を高めることになるのかなと。(学力の3要素にちょうどマッチした!)
理科だったら自然の巧妙さや普遍性のような奥の深さを気づかせることができたときの、生徒のタメイキとも何とも言えない「ホーッ」(うまく音が表現できない)というような反応、自分の授業力では、そうそう頻繁に出せるものじゃないんだけれど、もしかしたらアレが、ディズニーランドの面白さに勝てる(かもしれない)学問の面白さなのかな、と思ったりしました。
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