0724 ジャイアニズムとコリオリの力

ジャイアニズム(Gianism、剛田主義)とは、藤子・F・不二雄のマンガ「ドラえもん」のキャラクター、ジャイアンこと剛田武の思想のことである。「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」という言葉に象徴される通り、極端な利己主義を指す。

具体例を挙げよう。
いつおれが返さないと言った?永久に借りておくだけだぞ!
これは、その機会は永久にないというものの、「返さないわけではない(返すつもりだ)」という名目上の主張と、「返すつもりはない」という実質的な解釈が、全く矛盾した内容でありながら同時に成立している。
つまりジャイアニズムの本質は、明らかに自分が悪い状況を、視点を変える、それも斬新な視点をとることで正当化させる論理戦術である。それを裏打ちする暴力性・恐怖感は補完的なものに過ぎない。

ただしこれが成立するのは、ジャイアンのようなジャイアニズムを主張する人間(「おれ」)がいるだけでは不十分で、のび太やスネ夫のような理不尽・不平等を受け入れる側(「おまえ」)の存在があってのことである。基本的に無理がある思想ということを確認しておきたい。

したがってジャイアニズムは常に成立するわけではない。のび太やスネ夫ではなく、ジャイアンと同じような人間が集まったコミュニティの中だったらどうなるか。「おまえ」になる人間がいないので、ジャイアニズムそのものが成立しなくなる。むしろこれが(少なくとも建前上の)通常の社会である。

ところで、地球上の高気圧や低気圧は、その中心に向かって真っすぐ(等圧線に垂直に)空気が吹き出したり吹き込んだりはしない。高気圧は時計回りで風を噴出し、低気圧は時計回りで風を吸い込んでいる。

これは地球の自転によるものである。次の動画を見てほしい。
コリオリ力 – Coriolis force – part 1
コリオリ力 – Coriolis force – part 2
本来はボールはまっすぐ進んでいる(回転していない)のだけれども、見ている人自身が地球とともに回転しているため、回転している人の眼には、まっすぐ進んでいるはずのボールが曲がって動いているように見えるのである。

ボールが曲がって飛んでいるのはなぜか。客観的には「お前が回転しているからそう見えるんだよ」ということになるのだが、そうではなく、「ボールに力がはたらいているから」運動のようすが変わった、その力こそがコリオリ力である、という説明も可能である。コリオリの力の詳細な解説は豊富にあるので、ここでコリオリの力のこれ以上の解説は割愛する。

もう2つの話題がつながったと思うが、このコリオリ力こそがジャイアニズムの産物である。

客観的な解釈
のび太やスネ夫のものを返さない
観測者が回転しているが、ボールはまっすぐ飛んでいる

ジャイアニズムによる主張
返さないのではなく永久に借りておく
観測者は止まっていて、ボールはコリオリ力がはたらいて曲がった

このような対応を考えればわかりやすいだろう。

以前、慣性力を例に、コリオリの力もその一種であるが「見かけ上の力」について中学生レベルでもわかるような説明を試みた。しかしその時は、最終的には大人の事情とうやむやにしてしまった感がある。
ジャイアニズムという思想を用いて、ようやくその時のうやむやを晴らした「見かけ上の力」を理解させうるわかりやすい説明ができたような気がする。そんな気がするが、それは実は「ジャイアニズムによる主張」だったりしなければいいのだが…。

理科コラム

Posted by rikaniga