0504 酸化「した」のか「された」のか?
2CuO+C→2Cu+CO2 これは、いうまでもなく酸化銅の炭素による還元の化学反応式です。
この反応では、酸化銅は還元され、炭素は酸化されます。…と説明されています。
しかし、生徒はこれを「炭素は酸化して、酸化銅は還元した」と書いてしまうことはよくあります。そこにツッコミを入れても「還元した」で何が不適切なのか、そもそも「還元した」と「還元された」では何が違うのか、わからないという声も実に多い。
さて、「還元された」を「還元した」とするのは間違いなのでしょうか?教科書などでは「酸化された」「還元された」と表記されていますが…。
国語的に言えば「酸化される」はサ行変格活用(サ変)の動詞「酸化する」の未然形「酸化さ」に助動詞「れる」がついたもの。
「れる・られる」の用法は、痛み・出血・腫れ・かゆみの4つ、じゃなかった、受身・尊敬・自発・可能の4つがある。ここでは、受身であることは論を俟たないでしょう。
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と、すると。
もし、炭素が「俺は酸化銅に無理やり酸素を押し付けられたんじゃない、自分から積極的に酸素とくっつきに行ったんだ!」と言い出したら(生徒がそうイメージしたら)、「炭素が酸化した」という表現はあながち間違いじゃない感じもします。
それに、「炭素は酸化された」「酸化銅は還元された」と両方が受動的であるとすると、どうしてこの化学変化が起こることができたのか、この化学変化の原動力はどこにあったのかと…。
ここはひとつ、「酸化」「還元」という言葉を、例えば「修理」とか「加工」のような、対象となる物が変化する操作を示す言葉に置き換えるとわかりやすい。 「酸化」「還元」も対象となる物が変化する操作を示す言葉ですから、文法的に同じ使い方ができるはずです。
「AがBを修理した」というと、修理によって変化したものはAではなくBである。そしてこれは「Bは修理された」ことになります。でも、「Bは修理した」だと意味が変わってしまうよね。それじゃB自身は修理という変化はしていないもん。
すると、「炭素が酸化銅を還元した」ということは「酸化銅は還元された」のであって、「酸化銅は還元した」わけではないのが分かるでしょうか。
なお、「炭素が還元した」ことは成り立つのですが、「物体はどのような力を出したか」よりも「物体はどのような力を受けたのか」が注目されるように、「物質Aが酸化した」「物質Bが還元した」よりも「物質Aが還元された」「物質Bが酸化された」という、物質がどのように変化したかを注目するニーズの方が圧倒的に多いですね。
まさかアグレッシブに酸素と結びつきに行った炭素原子に敬意を表して「炭素は酸化された」、つまり「れる」の用法は受身ではなく尊敬だったというトンデモ展開も私自身は嫌いじゃないけど一般ピーポー略してパンピーにはとうてい受け入れられないでしょう。
総じていうと、「酸化された」「還元された」などという人によって解釈を間違える人も多いので、原子・分子のモデルを使って説明する(させる)活動を併用することも大切なのでしょうね。
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