1250 非常識と科学の発展

 科学の発展は非常識が常識化される過程で生まれるとよく言われます。

 ただ、これは大変手ごわい話です。常識が、特に真実ではない常識が、多くの人々に真実であると支持される(常識となる)のは、それが一見非常にもっともらしく見える(納得できる)ものだからではないでしょうか。

 二酸化炭素の入った集気瓶の中に火のついたマグネシウムリボンを入れると、
  2Mg+CO2→2MgO+C
の反応が起き、二酸化炭素中でも、マグネシウムは燃えるのです。

燃焼が終わった後、マグネシウムが燃えてできた白い酸化マグネシウムが残るほか、集気瓶の壁に黒い粉がこびりつく。この黒い粉は還元された炭素であるといわれていました。反応でできたこと、黒い物質であることから、化学反応式から考えると理にかなっている説明で、いかにも「常識」っぽい話です。

 この話をしたら、ある先生から指摘が。この黒い物質は炭素ではなくマグネシウムの微粒子で、炭素は酸化マグネシウムの表面に付着している、そうなのです。この壁についた黒い粉に塩酸をかけると溶けてしまいます。マグネシウムが塩酸に溶けてしまったのですね。もちろん、炭素にはそんな性質はありません…。

 こんなふうに、「真実ではない常識」は真実である常識とごちゃ混ぜになっていることもが多く、「真実ではない常識」の発見を困難にしています。話がややこしくなるので何をもって「真実」とするか、という議論はさておいて。

 だから、真実である常識に対し異を唱えている「非常識」(本当の「非常識」)と、真実でない常識に対し異を唱えている「非常識」(科学の発展の前段階)の区別も大変難しい。数の上ではおそらくはほとんどが前者だと思いますが。
 すると、世の中に満ちあふれている真実である常識に埋もれて、真実でないことが「常識」として大きな顔をしていることは十分にあり得る、というか、当然あって然るべきと考えた方がよいでしょう。

 それでも情報を十分にもっていない多くの人たちにとっては、基本的に「常識=真実」ととらえていれば十中八九外れはないし、早々困ることはないです。むしろ、一つ一つの常識を疑う「全数検査」していたら日が暮れてしまいます。
 先の炭素の例で、わざわざあの状況で発生した黒い粒を、本当に炭素かどうか分析しようという疑い深い発想は、「あれは炭素ではないのではないか」という何らかの確信(疑惑レベルでもよい)があるのならよいが、闇雲に片っ端から確かめるというのなら、ある意味非常に非効率的といえます。真実かどうかは別にして、「常識を支持することは効率的である」といっていいでしょう。

ですが、あえて非効率的なことをやって非常識を常識にした人がいます。トーマス・エジソンです。彼が白熱電球のフィラメントに6000種類以上の、竹だけでも約1200種類もの材料を調べたのは有名な話ですね。気の遠くなるような努力の賜で、私はその執念を否定するものでは決してありませんが、エジソン自身が十分な教育を受けていなかったため、闇雲に調べるという非効率的な手法しかとれなかった、という見方もできるのです。

 彼のライバルにテスラという男がいます。一度はエジソンのもとで働いていたのですが、けんか別れをしたあげく、エジソンの直流発電に対し、交流発電で挑み、そして勝った人物です。テスラは当時の最先端の数学や物理学を習得し、学者レベルにまで達していたインテリさんで、闇雲に調べるエジソンのやり方を非効率的だと感じていたようです。

「天才とは1%のひらめきと99%の努力だ」というあの有名なエジソンの言葉に「私ならその努力の90%を節約することができる」というツッコミを入れたという逸話があります。

歴史にifは禁物といわれていますが、もし、エジソンではなくテスラが白熱電球のフィラメントの材質を探すことになったら、より効率的に竹(あるいはそれ以上の材料)を発見したのでしょうか。それとも見つけられず、白熱電球の実用化自体が立ち消えとなったのでしょうか。

 検証のしようもありませんが、エジソンの非常識=非効率とテスラの常識=効率の対立の構図がそこにあります。そのとき、真実はどちらに見方するのか、個人的に大変興味深いテーマであります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました