はたから見たら首尾よく理科大から東大の大学院へロンダしたかのように見えます。
そうそう、「ロンダ」とはマネーロンダリングならぬ「学歴ロンダリング」てことで、学部よりもレベルの高い大学院に進学することで、最終学歴のランクを高く見せることを指します。実際、「最終学歴・東大大学院」というとビビる人もいるし。いや、でも今だったら、大学院出て30年くらい経つんだから、学歴よりも大学院出た後に何したかで評価してほしいんだけどな。
とにかく、当時、理科大進学組とか、バイト先の塾の関係者とかは、羨望かやっかみかはともかく、私の大学院進学をうまくやったな、と思われているようでした。もっとも、私もしばらくは「しめしめ…」と思っていたけどね。
ただ、実際に研究が始まってみると、内情はかなーり苦しかったかなと。いちばんは、理科大同様に自分の研究を愛せなかったこと。心はずっと先生稼業に向かっていたなと。
教職を含めた進路がらみのことはまた別の回に譲るとして、今回は大学院の生活にフォーカスを当てよう。
花のM1
大学院が始まった。特に前期は研究テーマもまだ決まっていなかったり、大学院の講義もいくつか取らなくてはならないのでゆったりモードだった。
私の場合は、中学校の非常勤講師の仕事もあったので、「人工知能論」とか「バイオマテリアルとその応用」のような朝8時から10時という時間帯に開講される工学系研究科の授業とか、「植物学特論」のような集中講義をはじめ、自分の研究とはほぼ無関係な科目ばっかりとっていた。さらに、前期が始まってしばらくして、東大では博物館学芸員の資格が取れることを知って、こっそり後期に教育学部の「社会教育論」の講義もとった。
参考までに当時の博物館学芸員資格は、法律上必修科目として「博物館学(4単位)」「教育原理(1)」「社会教育概論(1)」「視聴覚教育(1)」「博物館実習(3)」の5科目10単位、その他選択科目を2科目各1単位を取る必要があった。選択科目には「物理学」「化学」「生物学」「地学」があるので、理科大の段階でもう死ぬほどとっている。また「教育原理」も教員免許を取るために4単位とってあるから、実質「博物館学(4)」「社会教育概論(1)」「視聴覚教育(1)」「博物館実習(3)」の4科目とればいいわけだ。そこでまず後期に開講している「社会教育概論(1)」に該当する「社会教育論Ⅱ」という科目を取ったわけだ。
もちろん研究もぼちぼちしていたけれど、直接指導してくれる助手の先生は、7月に着任ということでスタートが遅かったり、私立校の非常勤講師や塾のバイトが忙しく、自分の意識の中では大学院での研究にあまり気を向ける余裕がなかったところもあった。だからゼミなどでも少しずつ研究面での拙さが発覚してきたし、同じM1の代は自分以外に3人(いずれも学部から東大)いたが、少しずつ水をあけられてきたような気がしていた。
いや、言い訳を全て排すると、研究がうまく進まない原因はシンプル。理科大同様に研究テーマを愛せなかったゆえに他のメンバーに比べやる気がなかった。それに尽きる。ただ、もし東工大や原子力の研究室に所属していたとしても、あるいは塾講や非常勤講師をやっていなかったとしても、どうせ同じ運命だったと思う。
だとすると、愛せなかったのは研究テーマではなく、自分の生活のかなりの部分をなげうって研究に打ち込むという生き方だったのかもしれない。某研究施設の一般公開でのキャッチフレーズに「語ろうぜ、研究愛。」ってのがあったけど、研究愛=自分がそこまでしてやりたいこと、ってのがなかったんだよなぁ。
で、それは研究職ではない仕事をしている今に続き、自分が絶対的に「これをやりたい!」というモノはなく、「こういうニーズがあるからこう応える」「次にこれが来るんじゃないかと踏んで、先回りしてこれをやっとく」「せっかくこれがあるんだから、使って何かしなくちゃ」という行動原理で、状況がベースになっている、つまり状況が変われば自分がやることが変わる、もっと言うと自分が何をやるかは自分がやりたいかどうかではなく、状況によって決定されるわけだな。キャリアもそうだけど。
だから「あなたは何がやりたい?」と正面切って聞かれるとすごく困る。「自分が」やりたいことが基本的にないから。根本のところで流されてるんだよなぁ。だから研究には向かなかった。
しかし理科大でも東大でも、それが悠々とできる人、研究愛を臆面もなく語れる人たちがいた。だから彼らと自分を比べて、自分の居場所はここではない、とあと腐れなく見限ることができた。
ただね、研究室で研究に向かないと察した自分に対し、不思議と卑屈にはならなかった。裏で塾講なり非常勤講師なりやっていたからだと思う。活躍できるフィールドが違うんだな、と一応は中の人でありながら、ちょっと離れた、そしてちょっと冷めた目で研究愛を語る人たちを見ていた。(決して下に見ていたという意味ではありませんよ、滅相もない。別にその中に入らなくてもいいと思ったという意味です)
地獄のM2
詳細はまた別の回でやるけど、M2の裏で昨年から務めていた私立W中高の他に、教育実習でお世話になった都立K高校、そして週1で私立D高校と3校で計20時間/週と非常勤講師を手を広げてしまう。さらに前述のように学芸員関連の3科目を受講。気になるのは博物館実習だけど、本来ならどこか受け入れ先の博物館で5日間の実習をするわけだが、さすがにそれは難しい。しかしラッキーなことに、博物館実習に該当する「博物館学特別研究(4単位)」という科目では、ゴニョゴニョしてピーすることで単位をゲットできた。
そういえばほとんど研究の中身の話をしていないね。化学は大きく物理化学、無機化学、有機化学の3つに分かれるんだけど、学部では物理化学系のコロイド及び界面化学の研究室だったのが、大学院では無機化学系の放射化学の研究室。「レーザー蒸発法により生成した鉄微粒子のメスバウアー分光法による研究」が修論テーマだったのだけれども…その中身は今となってはすっかり忘れてしまった…。
で、研究も進まず(そもそも身を入れてやらず)いろいろスカスカだったものの、それなりに理科大時代を思い出し、やる気がないのを少しでもカモフラージュするために研究室に泊まり込んで実験なんかやってみて(理科大時代では珍しくなかったが、東大のこの研究室では私以外に泊まり込む人はいなかった)、何とか修士論文までこぎつけたわけです。
が、修士論文発表会の発表順が書かれた紙が配られたときには、一瞬固まってしまった。M2は4人にいるはずなのに、放射化学の研究室からは3人しかいない。え?やっぱりだめか?修論却下か?M3か?と思ってよく見たら、自分の名前はあり、なかったのは自分より優秀な別の同期だった。どうも、研究の進み具合に納得がいかなくて自らM3の道を選んだのだという。私の研究はたぶんその時点の彼の研究にさえ及んでいないと思うのだけれど…こういうこだわりの有無も研究者としての適性の差かもしれない。とにかく私は一応無事に発表まで終え、なんとか修士の学位をいただいたのでした。
ちなみに他の同期は、一人は国家公務員1種に合格して特許庁へ、もう一人はD進し、のちに東京都環境科学研究所で研究員をやっていた時に会ったことがある。さらに一つ上の先輩はその後、あちこち行って現在東大教授として戻ってきているし、一つ下の自分とほぼ同じ研究テーマだった後輩は、慶応の教授やっている。べ、別にうらやましくもなんともないけれど、もし自分が先生稼業にうつつを抜かさず、化学の研究にどっぷりはまれて研究愛を語れていたならば、今頃はワンチャン自分がその椅子に座っていたかも…と思っていたこともないわけではない。
そんな妄想していたら、突然、刑事コロンボのワンシーンを思い出した。どの話か忘れたけど、コロンボがバーテンダーに聞き込みをするシーンがある。そのバーテンダーは覚えていた状況を詳細に答える。それに感心して最後にコロンボは「あんた、刑事にならないか」みたいなことを言う。それに対してバーテンダーは「刑事さん。私はこの仕事が好きでしてねぇ」とやんわり断り、コロンボも「あたしもだ」と野暮なこと言ってごめんよという感じで、いつもの片手を上げるポーズで帰っていく。
「私はこの仕事が好きでしてねぇ。」自分もやっぱりこう切り返していきたい。こちとら東大で修士とって、その気になれば化学の研究者やれたはずなのに、そこをあえて中学の理科教師やってんだ。
ま、切り返す、というか自分に言い聞かせているだけなのかもしれないけど。


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