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0242 実像と虚像 ~そこに光はあるのかい?~

 かつて江口洋介が、フジテレビの月9ドラマ「ひとつ屋根の下」で主人公・柏木達也に扮して放った名台詞「そこに愛はあるのかい?」は、当時の流行語にまでなりました。視なかったけど

 ところで、凸レンズでできる像の実験で、実像と虚像が出てきますが、この「実像」と「虚像」とは何なのか、どうちがうのかよくわかってない人もよく見かけます。「スクリーンに映るのが実像で映らないのが虚像」という誤解なんかもあるあるです。結局あの実験では焦点距離の外側に物体があると倒立実像と内側に物体があると正立虚像と、意味も分からずパターンを暗記してしまえば、学校の定期テストはもちろん、高校入試ですら間に合ってしまうので、結局、実像と虚像の定義ができていないのです。

 教科書でも、この凸レンズの像の実験から実像・虚像の説明をしているので、具体的な像を使って「この像を実像(あるいは虚像)という」という記述をしているものが多いです。「鏡の前に立ったら、鏡に自分の像が映った。この像は実像か虚像か」と聞いたら、「う~ん、逆さになっていないから、虚像?」という答えがでてくることがあります。まあ実際に虚像で正解なのですが、虚像の判断した理由は間違いです。
 では、虚像と実像ってどう違うのでしょうか。よくわかっていない人も多いと思います。

 そんな人に私は言いたい。あんちゃん@江口洋介風に。視なかったけど
そこに光はあるのかい?

 実像とは、実際の光が集まってできる像のことを言います。例えばこれ。

 光の道筋を実線で描いていますが、像のところで光が交わっています。
 つまり、像ができているところに実際に光が集まっているのです。だから「実像」なのです。
 ちなみに、実像はスクリーンを使わず、直接見ることもできます。スクリーンを使わず実像を見せる装置もあります。

一方の虚像はというと、凸レンズの例だとこれでしたね。

 光の道筋が、破線で描かれている部分があることに注意してください。
 この部分は、実際の光が進んでいる道筋の延長上にありますが、実際にはそこに光は通っていません。
 途中まで直進している実際の光を見て、「光なんだからずっと直進するんだろう、どうせ」と目(正確には脳かもしれませんが)が勝手にまっすぐ線を延長してしまっているのです。その挙句できたのが、虚像です。
 なので、そもそも虚像の位置には光はないので、スクリーンを置いたところで、そこに像は映りませんし、レンズ越しに虚像が見える位置を、レンズ越してないところから見ても、そこにはなにもありません。

 鏡のケースは、こうです。

 自分の頭や足が鏡越しに見えるのは、頭や足の光が赤い線のように反射して目に入ったからです。
 ところが、目に入ってきた光を反射した鏡の先まで延長して、青い点線のように鏡の向こうから光が来たようにみえ、その結果、自分の「虚像」が見えるわけです。
 でもよく考えてみてください。鏡の奥はとなりの部屋かもしれません、鉄筋コンクリートの柱の中かもしれません。そんなところに、自分の頭や足の光があるでしょうか。そこに光はないでしょう。だから虚像なのです。

 では、問題。
 乳鉢の底にコインを入れ、斜めから見ると見えませんでした。そこで、見る角度は変えず、乳鉢に水を入れると、コインが見えるようになりました。(動画参照)

さて、このコインの像は実像でしょうか、それとも虚像でしょうか。考えてみてください。
そこに光はあるのかい?
答え:虚像

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