学習指導要領と指導書
現在の学習指導要領には、学習指導要領の本文のほか、「解説」があります。学習指導要領本文だけでは、あまり具体的な授業のイメージが浮かびにくいところもありますので、、小単元ごとのねらいや、例えばどのような観察や実験が考えられるか、どんなことに留意する必要があるかなどを解説しています。
昭和33年に改訂された学習指導要領は、それまでの試案とは違い、法的拘束力をもつようになりました。学校の先生にきちんとこれを教えてね、というわけですが、学習指導要領本文だけでは、なかなか具体的な授業に落とし込むことが難しく、どこまで扱うのか解釈の仕方に幅がありそうなところもみられます。
そこでより詳しく指導要領の趣旨やより具体的な内容を示したものが「指導書」です。教科書にも教師用指導所がありますが、それとは別ものです。なお、平成10年改訂の学習指導要領からは、指導書に代わり「学習指導要領解説」が作られています。
昭和33年版の指導書を読んでみよう
学習指導要領自体は昭和33年に発表されましたが、指導書は翌年に出ました。ここでは中学校理科の指導書を見てみましょう。
性格
26年試案の前学習指導要領と今回の指導要領では大きく生活単元から系統学習へ転換していることから、指導要領を作る際に生活学習か系統学習か、おそらく相当な議論があったことが想像できます。しかし、昭和33年版学習指導要領本体には、そのあたりの話は全く書かれていません。理科のところも、目標や内容などだけで、指導計画作成および学習指導の方針だけです。
そのあたりのことが、指導書の最初、すなわち「第1章 性格と目標」の「第1節 中学校理科の性格」「1 性格」に書かれています。
1 性格
文部省 中学校理科指導書 1959 p.1-2
中学校の理科は,自然の事物・現象に関することがらを,生徒の発達に応じて科学的に取り扱い,これにより,生活や産業にとって基本的な科学的な事実,慨念,法則などを理解させ,物事を科学的に考え処理する能力や態度を養うことをおもなねらいとする教科である。
このように,非常に広範で機能的なねらいをもつ教科であると考えることは,理科教育の進歩に即した妥当な立場であると一般に認められているが, 焦点が捕えにくく,したがってこのねらいのどこに重点をおくかによって,指導計画や指導法に大きな違いが生ずるのが実情であった。たとえば,自然科学に関する知識を与えることに重点をおく考え方がある。この考え方も, どのような知識を重視するかによって,自然科学入門のような特色をもち演えき的順序を主として指導する形態や,日常生活や応用に関する知識をつと めて帰納的な順序で指導する形態などに分れる。これらの知識中心の事象の調べ方とか,事象の間の関係を見いだすなどのような思考の訓練に重点をおく形態など,さまざまな立場がある。
これらの種々の考え方があることについて,次の諸点は特に注意すべきであろう。まず,上に例示したようなそれぞれの立場は,相互に必ず矛盾するものとは考えるべきでないということである。理科教育に関する基本的な考え方を検討するとき,知識か能力か,あるいは,生活学習か系統学習かなど のように対立する形で論ずることが多い。両極端を掲げて,そのどちらに立つべきかを論ずる方式である。このような検討のしかたは,問題点を明確にする点で意味があるが,実際の指導は,両極端の一方だけに立って行われるものではない。両極端に片寄ることなく,その中間に立って,両者の長所を取り入れることが好ましいのである。知識か能力かのいずれかでなく,知識, 能力,態度のいずれをも伸ばすこと,生活学習か系統学習かのいずれかでなく,生活上,の問題や経験を重視し,しかも系統的な理解を得させることなどが可能であり,それが望ましいのである。
次に,知識,能力,態度などが別々なものではないことに注意すべきであろう。目標や指導計画をたてるときには,それらを知識,能力,態度などの各方面から検討して,全体として調和のとれたものを構成する。しかし,生徒の習得した知識,能力,態度などが,ばらばらでよいはずはない。知識は,じゆうぶんに活用されるために習得されなければならないし,技能は,知識に裏付けられ考察を伴わなければならない。それぞれが有機的に関連をもち, 機能的であることが必要なのである。
以上が中学校理科の性格として考えられるところである。したがって,系統的な理解は高等学校の準備教育であり,科学的な能力,態度の育成は完成教育であると考えるのは片寄った考えであるといわなければならない。
つまり、うまく折衷していいとこどりしましょうよ、ということです。
指導要領本体は明らかに系統学習に転換しているけど、だからといって生活学習を完全に捨ててしまうのも惜しい。この辺りのメッセージは生活学習支持者への配慮か、あるいは学者様たちが繰り広げる系統学習VS生活学習の議論に辟易した現場からの批判か、とにかく何か、一部関係者に向けたメッセージのような感じがしてなりません。
用語
第2章 各学年の目標及び内容 第2節 各学年の内容 2 用語
(2)科学用語について
文部省 中学校理科指導書 1959 p.26-28
科学用語は,一般に明確な定義をして用いるので,事実の表現や概念を確 実にするのに非常に役だつ。しかし,その種類が多すぎたり,特にむずかし いものを用いたりすると,かえって学習を困難にする。「内容」の各事項に あげた科学用語は,これを生徒に使用させても教育上さしつかえないものに 限ることを条件としたため,その種類を多くしないことを方針としている。 すなわち,普通用語ですむものは,別に科学用語をあげることを避けたので ある。
科学用語の指導について. これまで問題とされていたことのーつは,同一 の事項に対していくつかの異なる用語が用いられていたことである。その例 は,磁界と磁場,誘導と感応,重ソウと重炭酸ソーダと炭酸水素ナトリウム などきわめて多い。これらの種々の科学用語の命名についてはそれぞれ理由 があり,また歴史を背負っていて問題は複雑であるが,「内容」を記述する 科学用語としては,できるだけ文部省編「学術用語集」によることとした。
以上は科学用語についての一般的な方針であって,実際には教育的な配慮から薬品名その他に次にあげるようないくつかの細かい方針および特例がある。また,小学校理科の用語は,必ずしも上の方針と同一ではない。これら について以下にしるす。
ア薬品名などについて
洗たくソーダその他のように,慣用語であって学術用語集では採用していないものは,その慣用語を用いずに学術用語を用いることとする。すなわちこの場合は炭酸ナトリウムを用いる。学術用語集の中には,炭酸ガスと二酸化炭素,カセイソーダと水酸化ナトリウムのように,慣用語をも認めている例がある。この種の用語については,慣用語を用いないことを原則とした。
しかし,この原則からはずれる特例が若干ある。たとえば,塩化水素酸を 塩酸,硫酸アンモニウムを硫安,ショ糖を砂糖,塩化ナトリウムを食塩などと呼ぶのがこれである。これらは学術用語を用いることが必ずしも不適切で あるということではないが,これらは,空気,水,木炭などの語と同様に日常生活に密接な関係をもつものであるので慣用語を使用することとし,同一 の事物・現象について二様の名称の使用は避けたのである。したがって,た とえば製塩法,食塩水,食塩などというように一貫してこれを用いるわけである。生長を成長としたことも特例のーつである。学術用語集によれば,動物については成長,植物については生長の用語が決められている。それぞれ理由のあることであるが,同音であり,また,その理由の違いにさかのぼってて使い分けることは,生徒の発達からみて不適当と考え,一般に広く用いら れている成長に統一したのである。
イ 小学校理科に用いた用語との違いについて
小学校学習指導要領に用いた用語と中学校学習指導要領に用いたものとを 比べてみると,多少異なっているところがある。たとえば,こん虫とコン虫, いねとイネ,かえるとカエル,せっけんとセッケン,しぼうと脂肪,たんぱ く質とタンパク質などのように,それぞれ小学校ではひらがなを多く用い, 中学校ではかたかなを用いているものが多い。学術用語集では,種名,薬品名などには多くかたかなを使用しているので,中学校ではこれに準拠したの である。一方,小学校では,普通用語と科学用語とを区別しながら使わせる ことは一般にむずかしい。このような教育的な配慮からすべてひらがなに統 一したのである。
科学用語についてこれだけ丁寧に解説していたのがとても新鮮。今日の中学理科では食塩と塩化ナトリウムの境目はあやふやだし、「澱粉」のひらがなカタカナ問題も、小学校ででんぷん、中学でデンプンと表記がしれっと変わっているけど、その点について教科書は多くを語っていないじゃないですか。
他にも、たとえば解剖についてカエルの解剖を例にとって指導上の留意点とその対策の一例を述べたりして、読むと結構へぇ~となることが多いです。
2分野制の導入
もう1つ。昭和33年指導要領の中学校理科のポイントとして、ここから第1分野、第2分野と2分野制が敷かれたことです。
これについては、次のような説明があります。
第3章 指導計画の作製と学習指導
文部省 中学校理科指導書 1959 p.93-94
第1節 指導計画の作成
1 授業時数
(前略)
中学校理科の内容は、各学年とも二つの分野に分かれているが、最低授業時数で指導する場合には、第1分野および第2分野の指導に、それぞれおよそ70単位時間を充てることになっている。
また、第1、第2分野の学習は、年間を通じて行うことがたてまえであるから、毎週4単位時間のうち2単位時間が第1分野、他の2単位時間が第2分野の学習に充てられるのが一般の形になる。第1分野と第2分野の学習を交互に隔週、隔月、あるいは年間の前半と後半などに分けて行うことは趣旨でない。しかし、毎週同じように学習させるように計画しても、進度が著しくふぞろいになったり、季節的な必要などから、この計画を一部修正する必要が起こることもあるであろう。教育的に必要な場合は、このような修正はなんらさまたげるものではない。各分野の指導に充てる最低時数は、およそ70時間であって、70時間とは定められていないし、また、年間通じて行うことも、上に述べた趣旨におけるたてまえなのであって、ゆとりがあるのである。
いじょうは、最低時数で指導する場合の趣旨であるが、最低時数より多い時数を理科の指導に充てる場合はやや異なり、最低授業時数を越える部分の時数を、必ずしも第1、第2分野に等分する必要はない。たとえば、ある学年の授業時数を175単位時間とするときは、第1分野を70~105単位時間、第2分野を70~105単位時間の幅の中で学校が決めることになる。
なお、第1分野および第2分野を、教師がそのように分担するかについては制限はない。第1分野と第2分野のそれぞれを2人の教師が分担することもできるし、1人の教師が両分野を担当してもよい。要は一般理科としての性格を失わないように留意しながら2分野に分けて指導することである。(p.93-94)
つまり、2分野制にしたのはそれぞれを通年で学習させたい、多少の融通はきかせていいけれど、ということですね。
ただ、このような縛りは私の知る限り、平成以降の指導要領では並行しておこなう縛りはなかったはずです。そもそも1年生の理科の年間授業時数が105時間、つまり週3時間なので、毎週1.5時間ずつやれとか言ったら、どないせえっちゅうねんっていう話になります。とすると、学習指導要領を作る側からすると1分野・2分野バランスよく組み立てる、という縛りとしては意味があるのかもしれませんが、現場で、授業を運用する上では2分野制にした意味がだいぶ薄れてきます。
さらに、平成24年度からは、教科書もそれまで「1分野」「2分野」と分かれていたのが学年ごとに1冊になりましたので、生徒は1分野、2分野という表現を全く見かけなくなったことになり、ただ指導要領に残っているだけということになります。もしかしたら、次の(10年後の)指導要領では「1分野」「2分野」という言葉自体、なくなっているかもしれません。物化生地のバランスが崩れるのを恐れて残すかもしれないけど。
昭和34年初版、これは昭和41年の17版。実教出版株式会社、定価80円。
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