質問:そういえば以前ほど「理科離れ」という言葉を聞かないのですが、状況は改善されたのでしょうか。
2010年ごろまでは「理科離れ」という言葉が多く聞かれました。その時には多くの議論がありましたが、単なる個人の経験に基づく感想は論外としても、そもそも「理科離れ」の定義がはっきりしていなかったので、データが理科離れを証明していたのか、「離れ」たのは理科からでしょうかなんて指摘もありました。
当時、自分も個人的には離れたのは、理科が多分にそれを含んでいるとはいえ、理科そのものではなく、「知」だったり「勉強」「面倒な(めんどくさそうな)こと」「難しい(難しそうな)こと」ひいては「自分に利益がなさそうなこと」ではなかったのかと思っています。まあなんというか「水は低きに流れ、人は易きに流れる」というやつです。
ちなみにこの「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という言葉、孟子の言葉とされているのですが、どうも孟子の「告子上」では、「人性之善也,猶水之就下也。(人性の善なるや、猶ほ水の下
に就
くがごとし。)」と、人の本性が善なのは、水が高いところから低いところへ流れるくらい当たり前のことだと、いわゆる性善説を言っているだけで、「人は易きに流れる」なんて言ってないんじゃないかと。意図的かどうかはともかく、誰か意味をすり替えた奴がいるはずです。
また、このころ、いわゆる「ゆとり教育」による学力低下問題と相まって、技術立国日本が揺らぐのではないかという不安もありました。そう考えると、「理科離れ」論議がおちついてきたのは、平成20年改訂の指導要領で「脱ゆとり」にかじを切ったことと関係しているのではないか(※個人の憶測です)。このあたり、スプートニクショックで教育の現代化に走ったアメリカと似ていますね。
そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
でもそれなら、学習内容が増えた令和の現在は「理科離れ」が解決の方向に向かっているはずなのですが、実際は決してそんなことはなく、たとえばTIMSSで「理科を勉強すると、⽇常⽣活に役に⽴つ」とか「理科を使う職業につきたい」と思う中学生が日本は国際的に少ないとか、2040年の就業構造推計(改訂版)によれば、事務職(約440万人)や文系人材(約80万人)が余るのに対し、AI・ロボット等利活用人材(約340万人)を含む専門職や現場人材(約260万人)、理系人材(約120万人)が不足する可能性が指摘されているなんて資料をみると、他の要因も絡んでいるとはいえ、事態は改善どころか深刻化しているようにしか見えないわけですよ。
ところが、たしかにご指摘のように、以前ほど「理科離れ」という言葉は耳にしなくなりました。印象論だけで進めるのは良くないのでエビデンスが欲しいなと、国立国会図書館サーチで「理科離れ」をキーワードに検索してみました。検索結果が375 件。1990年代で絞ると107件、00年代171件、2010年代83件、2020~2025年で18件となっており、年間あたりでいえば90年代10件、00年代17件、10年代8件、20年代3件と00年代をピークに減少傾向が続いていることがわかります。
とすると状況が悪化しているのにその状況を示す言葉は減っていったということになりますが、これはどういうことでしょうか。関係者としては身の毛がよだつ一つの仮説が浮かびます。
「理科離れ」というのは理科に近い状態からだんだん離れていくという変化が気になったからこそ生まれた言葉であって、最近は理科から遠い状態が定着して「離れ」という変化がなくなったから気にならなくなった、理科からは離れているのが当たり前となった、当たり前のことだからその状態にあえて名前を付けて呼ぶ必要はなくなったということではないか。
「リケジョ」も理系女性が少ないからその状態を問題視されたからこそ、そういうネーミングがついたからでたぶん理系の中で男女比が1:1程度になって理系女性が珍しくなくなれば「リケジョ」なんて言葉はなくなるのではないかと。理系男性を示す「リケメン」、文系女子を示す「ブンジョ」はいずれも「リケジョ」という言葉ありきの派生語に過ぎず、知名度は「リケジョ」>>>>>「リケメン」「ブンジョ」なのは同意いただけますよね。
で、どうすんだ?
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