教育実習生との授業の組み立てに関するディスカッション。
酸素が関わる化学変化の話題で、花火を使ってみるのはどうでしょう。「なぜ花火は色がつくのでしょう」と聞いてみるとか。
炎色反応と酸化は直接は関係ない、という突っ込みもあるのだろうけれども、炎色反応の美しさは生徒も興味を持つことは間違いないので、やってみるのは悪くないと思いました。ただ、なんとなく引っ掛かったところがあり、決していじめるつもりではなかったのですが、少し質問してみました。
それに対してどういう答えを想定しているのですか。
「金属が入っているから」
そうしたら、なぜ金属が入っていると、色がつくのか、銅が入っていれば緑になるのか、と聞かれそうですね。
そ…それは中学生に説明できない…やっぱり花火の話題、やめます。
教育実習生とのその話題についての話はそれで終わったのですが、後でなんとなく気になりました。何で引っかかったんだろう。引っかからないようにできなかったのかなと。
そうしたら「なぜ花火は色がつくのでしょう」という発問に疑問を感じたのだなと気が付きました。
なぜ、花火は色がつくのか → なんでだろう → 花火に金属が入っているから
ここです。
「花火に金属が入っているから」は「なぜ花火に色がつくか」の納得いく説明になっているか、この2つがつながるかというところに違和感を感じたからだなと。
そう考えると「なぜ」にはレベルがある感じがします。
疑問Aに対し、理由Bが示されたとき、BだからAであるが自然に論理的に納得いくものか。もしダメなば、なぜBならばAなの?という質問が返される。ここではBとAの間に立つ理由Cが求められる。
トマト狩りで青いトマトを取ろうとする子どもに対し、親が
このトマトはとっちゃダメ …A(疑問の内容)
どうして?
まだ青いから …B(理由)
どうして青いトマトは取っちゃいけないの?…AとBを結ぶ手がかりをもとめる
青いトマトはまだ食べてもおいしくないから…手がかりの提供
そうか、じゃ取らない。…納得
つまり子どもの中では
「取ってはいけないトマト」と「青いトマト」が直接結びつかないのです。
ところが
「取ってはいけないトマト」と「おいしくないトマト」という関係がすでに結びついていて
そこに「おいしくないトマト」と「青いトマト」の関係が結びつき、三段論法で
「取ってはいけないトマト」と「青いトマト」が結びついて、納得!となるのですね。
もしここで、実は子どもに「取ってはいけないトマト」と「おいしくないトマト」が結びついていなかったら、「どうしておいしくないトマトは取ってはいけないの?」という次の疑問がでてくるはずです。
では、ここではどうしたらいいのか。
発問の「なぜ」を違うものに変えてみたらどうか。「どうやって」を使います。
「どうやって、花火では炎に色を付けているのでしょう」
これなら
「実は金属を入れていたのです。炎色反応と言って、炎に入れると、例えば銅なら緑、ナトリウムなら黄色と色がつく性質を利用しているんですよ」
と実際に実験で示せば、「なぜ」のときと違う方向に流れそうではないですか。
花火では炎に色がついています …A(疑問の内容)
では、どうやって色を付けているのでしょうか?
実は、金属を入れているんですよ。 …B(方法)
「炎色反応」と言って、炎に入れると、例えば銅なら緑、ナトリウムなら黄色と色がつく性質を利用しているんですよ。実際にやってみましょう。…ここでたたみかける
へー!すごい!…感動
理屈を求める「なぜ」と方法を求める「どうやって」。実演が可能ならば対応がしやすいのはどちらか、もうあきらかですね。
う~ん、こう見てるとごまかしているだけのように見えてきた(笑)。
コメント