Media Teachers Antenna ケーススタディ(上)
※この記事は旧ブログで2013-11-16に更新したものです。
整理していたら10年くらい前の資料が出てきました。
当時、Media Teachers Antennaというプロジェクトに参加していました。もっとも、具体的に何をやったかは詳しくは覚えていないのです。
同じ主催者で、もう一つ、Media Teachers Village というのがあり、そちらはリンク先みれば、ああ、やったやった。と思い出せるのですがアンテナの方はどうも思い出せないのです。
2026年現在リンクは切れ、なんかメディアリテラシーがらみのことをやったことは覚えていますが…忘れたに等しいな。
とはいえ、このビレッジとアンテナにメディア・リテラシーに取り組もうとする現場の教師として参加していました。で、アンテナの方のたしか最初だったと思いますが、次のような課題がありました。
ケーススタディ(50分)
新年度が始まる少し前に、メディア・リテラシーに関心を持つ同僚が、あなたに相談を持ちかけてきました。A~D先生の相談内容を読み、問題点を指摘した上で、出来るだけ、具体的にアドバイスをしてあげて下さい。
そこでA~D先生の相談内容と「私のリアクション」をさらしていきます。
今日はA先生とB先生のご相談についてお答えします。
CASE1:A先生の場合
メディア・リテラシーの授業をやってみたいと思っています。最近、世の中物騒で色々な事件は起きているし、色んなメディアが出てきていて、どんどん世の中が変わっていく。メディアについて学ぶ必要があると思うのです。
やはりメディア・リテラシーでは、テレビが何よりも重要だと思うんです。やっぱりテレビの影響力は大きいですよね。テレビの流す情報に編されてはいけないと思うのです。テレビを批判的に見る力を養うことが、今の時代を生きる子どもたちにとって何よりも大事です。僕自身も物心ついた頃からテレビに触れてきました。だから、テレビの影響力は身をもって知っています。
そう考えて、テレビの情報が如何に構成されているかに気づかせる、読み解きを中心とした授業を実践したのです。その甲斐あって、子どもたちのメディアを見る目が、厳しくなりました。やっぱりテレビは僕らを編していたのだ、と。もうテレビの言うことは信じないという子もいました。批判的に見る目を獲得したと思ったのですね。
でも、先日、校内の研究会で発表した時に、他の先生にから「何か、テレビにケチをつけているだけ、という印象がありますね。」と言われてしまったんです。「批判の根拠が解らない」とも。メディア・リテラシーの授業をやる上で、どんなことに気をつければ良いのでしようか。また、日頃からどのような努力をすればよいのでしようか。
今思うと、「批判」という言葉を、「誤りや欠点の指摘」という意味でとらえてしまった典型的な事例かと思います。(実際にそういう意味で出題されたのかもしれませんが)
「批判的思考」などの「批判」というのはCriticalの訳語で、おおざっぱにいうと、多角的・総合的に判断・評価するみたいな意味ですね。少なくともマイナス面をみつけて糾弾するという意味ではないはずです。
でも、当時の自分は、このA先生は、テレビについて感情としてどう思ってるのかを考えました。
ということで、私の解答。
愛だろ、愛っ。
先生、テレビは好きですか?批判をしていても好きなんじゃないですか。
幼稚園児が好きな子を「〇〇ちゃんキライ」といったり、アンチ巨人が実は巨人ファンの一形態であったりするのと同じで、本当は好きなんでしょ?「はい」か「イエス」でお答えください。
だったらテレビに愛をもって授業しましょう。いい面も悪い面もしっかり見るのです。テレビを理解するというのかな。ここはいいけど、ここからはテレビの限界だよ、みたいな。場合によっては製作者側の立場に立って考えたり。その上でテレビとのつき合い方を生徒と考えたらいいんじゃないかな。
愛情をもってテレビを見ましょうよ。みんなテレビが好きなんだから。そうでなきゃ、なんでこんなに世の中にテレビがあるんですか?
当時でも「古っ!」といわれそうなサントリーの「ザ・カクテルバー」の名チャッチコピーをトップに、A先生のテレビに対する態度をツンデレと看破し、強引に認めさせたうえ、テレビに素直に向き合わせ、みんなテレビが好きなんだと落とすやり方です。
そういえば、もう何年か私はテレビというものをほとんど見ていません。すっかりネットに移行してしまいました…。
CASE2:B先生の場合
メディア・リテラシーの授業は何度か実践してきました。自分白身が中学校・高校時代に、放送部に在籍していたこともあって、「私にとっても、情報はメディアによって構成されている」といったメディア・リテラシーの目的は違和感のないものでした。自分で番組を作る中で、取材や編集という構成のプロセスが見えてきます。体験的に学ぺるんですね。実際に、自分の学校紹介の3分間の番組を作ってもらうことで、随分と子どもたちの、メディア・リテラシーはついたのではないかな、と思います。
もちろん、ある程度の機器の操作や指導する側にも番組製作の知識が求められるのですが、とても良い方法だと思います。
ただ、少し気がかりなのは、番組製作にのめりこんでしまって、番組の製作のプロセスは解るんだけれども、そこから考えが深まっていかない子がいることです。「情報が構成されている。それも気づいているようです。僕の悩みは、具体的には、番組製作で学んだことを、他のメディアに当てはめて考えたり、関係づけて考えたりすることが難しいということです。番組を作れるようになるということと、メディア・リテラシーの目標を理解することとは、どう違うのかな。自分の実践には何かが足りないような気がしているのです。何か足りないのでしょうかね。」
何が足りないって…制作者側の一方的な視点しかないんじゃね?と。基本的に生徒は視聴者側なのに、視聴者の視点がないのはどうよ、ってことだな。一方的な視点といえば、サイエンスコミュニケーションをテーマにしておきながら、市民の側の視点が弱い事例と、科学者(専門家)側の視点が全く抜けていた事例がありました。
実はあの公開研究会もこのプロジェクトも同じ…うわなにをするやめろ
「お前、どうしたんだ、目が充血していて真っ赤だぞ」
「そうか?内側から見ると赤くないけど」
内側から見えないものって、意外に多い。「岡目八目」なんて言葉もある。
全体像を見ようとするなら、内側にいてはいけないんですね。
外から俯瞰的に見る目をもたないと。メディア・リテラシーにはこれ、けっこう必需品だと思いますよ。
子供が作った作品を題材に、他の子供がメディアリテラシーについて考えて、それを制作した子供にフィードバックさせたりコミュニケーションさせるのはどうでしょう。自分の作品を他者の批判にさらすことで何か見えてくると思います。
今度はアメリカンジョークからスタート。でも、内側にしかいないという問題点を指摘して、他者の批判にさらす=外の空気にさらすという解決策をきちんと示しているなぁと。
C先生とD先生の質問は?そしてその解答は?こうご期待!
Media Teachers Antenna ケーススタディ(下)
※この記事は旧ブログで2013-11-20に更新したものです。
Media Teachers Antenna ケーススタディ。今日は残りのC先生、D先生の質問です。
CASE3:C先生の場合
メディア・リテラシーの授業は、教師の腕の見せ所、というかね、非常に教師の力量が試されるものだと思います。特に、何を教材に持ってくるか、が重要だと思います。昔、テレビでカナダの教室でメディア・リテラシーの実践を見ました。「スター・ウォーズ」を題材にしていた読み解きの授業でした。教師が「本当にこんな風に銃で撃たれたらどう思う?」なんてね。凄いストレートな発問するなあ、なんて思った記憶があります。でも、そういう生徒にとって魅力的な教材を選んでくることは大切なポイントの1つです。
それで、僕もこの間『北の国から』を授業で使ってみました。僕らの世代にとっては『北の国から』は、見ていないヤツはいませんよ(笑)さだまさしの歌うあのテーマソングが流れてくると、こうグッときますよね。
真面目な話、なかなか授業に集中してくれない子どももいますよね。でも、『北の国から』を見せるとちゃんと授業を聞いてくれる。やっぱり、子どもに身近なメディアを用いることは、そういう意味でも、有効です。そういう切実な問題もあります。学校で、こういう子どもに身近なメディアを教材として使うのは難しい部分もありますけれども。教材選択は大きな課題です。教材選択の際に気をつけることはありますか。
ごめん、正直いうと、ちょっと引きました。『北の国から』を見ていないヤツだったからかもしれませんが、共感ができないのです。『北の国から』のようにシリーズ化している長いドラマの場合、そのドラマの背景というか世界観があり、それを知らない人にワンシーンだけみせてもドラマの世界観をもっているファンの人と同じ感覚を共有しづらいのではないかと感じます。
教材選択の際に気をつけることといえば、別にメディアリテラシー教育に限った話ではなく、教育活動一般でいえるポイントがあるのではないかと思います。それを後半に書きました。前半は…雑談ですw
私も「これ、メディアリテラシー教育には良い教材だけど、実際には絶対に使えないな」というネタがあります。あの「完全自殺マニュアル」です。死という重大なものの意味をあえて軽く扱うことで死ぬほど苦しんでいる人を「自分はそこまでじゃないな」とか「そうか、気にしなくてもいいんだ」と思わせる。中にはそれで自殺の方法をマネする人もいる。もっとも、また別の読み解き方もできるな、という気もする教材ですが、当然そんな本を授業に使ったら、たぶん新聞に載ります。
『北の国から』については面白いかもしれませんが、みているときには面白くても、それを読み解こうとかすると、とたんに集中しなくなったりしません?理科の面白実験とかもそうなんですが、現象として面白くても、説明となると聞かなかったり。
一番の教材選択のポイントって、先生のその授業の目標を達成するかどうか、それに尽きるんじゃないですか。そもそも、先生のメディアリテラシーの授業の目標は何ですか?
ICT活用とか言語活動の充実とかもそうですが、それが授業の目標達成に役立つのか、という視点は見落としがちですが大切です。どうしても単一の手段にのめりこむと、それで何でもやってしまおうとする傾向があります。本来は広くいろんな手段を知ったうえで、このやり方が必要であると判断すればそれを使う、逆に言えば必要ないなら使えても使わないという奥ゆかしさも必要なはずです。
さて、最後にD先生。
CASE4:D先生の場合
メディア・リテラシーの授業を何度かやってみました。テレビや広告を教材にして、情報が構成されていることに気づかせるというものです。メディア・リテラシーの授業としては王道といったところでしょうか。実際に実践してみて、私自身にも気づきがありました。改めて考えてみると、テレビや広告は当然、「メディア」なのですが、例えば、「スポーツバック」だって、メディア・リテラシーの教材として扱えると。もっと言うと、タレントの「ジャニーズ」だってそう。世の中のあらゆるモノが「メディア」として考えられる。そこで、ふと思ったのですが、テレビや広告をメディアとして捉えて、授業をすることは出来ても、「ジャニーズ」をメディアとして捉えて授業をどう組み立てたら良いか、正直、解らないのです。先生なら、どのように授業を組み立てられますか?
そこで例としてジャニーズを出すか!という気持ちと、それをメディアとするならなんでもメディアになって収拾がつかないのではないか、という素朴な疑問。ただ、アレが使えるんじゃないかなと思ったのも事実です。
コンセプト・マップはいかがでしょう?「ジャニーズ」という言葉を中心に連想する言葉を結んでいって言葉と言葉を結ぶ線(矢印)にはどういうつながりを書いてみる。それを作って他の人と比べてみる。人によって全く違うものができると思います。つまり「ジャニーズ」というものをどのようにとらえているか、どのようなジャニーズ世界観をもっているかがわかるんですね。その世界観の差がなぜ生じているのか、話しあわせてみると面白いと思いますよ。
ざつだん。コンセプトマップのようなマップっていろいろあると思うのですが、ある種のマップがどうも自分には生理的に気持ち悪いんですよね。太い幹からニョロッと枝分かれしている形がどうも…さらにカラフルに書くとかえって毒々しくなったりして…。

コメント