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0804【電流08】 回路と電流・電圧(8) 電圧は「はたらき」です。

 旋回、回路の電圧について測定しました。そこから、電圧のイメージを次のようにとらえてみましょう。

いいですか皆さん。
電圧は「回路に電流を流そうとするはたらき」などとよく教科書に書かれています。

電圧は「はたらき」です。
電圧は「はたらき」です。
大事なことなので2度言いましたよ。

「はたらき」っていうことは、「物」と違って、かたちや質量がなく、1個2個3個…と数えられるものでもありません。

 「はたらき」を見せようとなると、「はたらき」がある前と、「はたらき」があった後の2つを比べて「はたらきがあったからこれがこうなったんだな」とさせるしかありません。洗剤のCMなんかで「新成分○○のはたらきでこんなにキレイに!」と、キレイになったあとの洗濯物だけを出されても、鋭い人は「新成分○○がなくてもキレイになるんじゃね?」とつっこむことでしょう。「はたらき」ってものは比べてナンボのものなのです。
 葉の緑色の部分では光合成が起こったが、緑色ではない斑の部分では光合成が起こらなかった。つまり、緑色の部分の「はたらき」で光合成が起こったわけですよね。これもあるときとないときを比べていました。

つまり、「はたらき」の本質とは「違い」別の言い方をすれば「差」なのです。水流モデルも電圧は水(電流)が流れている場所の高さの「差」で電圧を表現しています。
だから「電圧」の同義語(もしかしたら専門的には微妙な違いがあるのかもしれませんが)に「電位差」という言葉があるのも、「電位」というものが何かわからなくても、何かここら辺の「差」の概念とつながっていることがうっすらと見えてこないでしょうか。

 ただ、この「差」というのは扱いにくいです。「AとBの差」はAもBも両方がなくては始まらないのですが、A自身でもなければB自身でもない。いうなれば「ちくわの穴」みたいなものですね。ちくわがなくては「ちくわの穴」は存在しえない。しかしちくわ自身は「ちくわの穴」ではない…。もはや哲学(笑)。

 これに対し、電流はわかりやすい。前の復習ですが、電流の本質は、電子という、かたちや質量をもつ、1個2個3個…と数えられる「もの」なのです。

電流と電圧は根本的に違う。かたや「もの」、かたや「はたらき」です。ところが、「信用金庫」と「信用組合」のように、「様」と「殿」のように、「そうめん」と「ひやむぎ」のように、微妙な違いはきっとあるんだろうなと認識しながら、「こまけぇこたぁいいんだよ!!」とばかりに電流と同じように電圧をとらえてしまうと、ここから先が理解できなくなってしまいます。

電圧は「はたらき」です。これも「自転車のカギ」なのです。

実験結果を分析・解釈してみよう

電池の両端にかかる電圧と電球の両端にかかる電圧は、等しかったですね。

ところで今挙げた2つの図を見てくれ。こいつをどう思う?
トポロジー的には同じ図だと気づいた人はかなり賢い!
だからこの2つは同じ電圧を示したのです。

どういうことでしょうか。同じ図だと言われてもわからない人もいるでしょうから、もう一つ図を描いて説明します。

回路のうち、電池による「はたらき」がある部分を赤、ない部分を青でかいてみました。すると、先の2つの図ではどちらも、電圧計は、回路の赤と青の「差」を調べています。「電池の両端にかかる電圧」も「豆電球の両端にかかる電圧」赤-青で等しいのです。

するとだ、次のようなかたちで電圧を測るとどうなったっけ。

先ほどの考えでいくと、赤と赤の部分の差を求めています。…と言うことは電圧は、赤-赤、すなわち電圧0(ゼロ)となりますね。そして実験結果もゼロだったというわけさ。

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