1139 慣性力

慣性の法則と慣性力(2010-01-08)

中学校では「慣性の法則」を学び、高校では「慣性力」という考え方を学びます。
で、慣性力とは「見かけの力」とかよく言われますが、なんじゃそれ?その力、実際にあるの?ないの?って感じですね。
で、今日はこの「慣性力~見かけの力」の説明を試みてみます。

まず、「慣性の法則」というのは、

物体に力が加わっていなければ止まっている物は止まり続け、動いているものは等速直線運動(すなわち同じ向き、同じ速さの運動)を続ける

というもの。

下の絵の左の列の「急発進」を見てほしい。
止まっている電車(①)が急発進しても、中の人は同じ場所に止まり続ける(②)。
これが慣性の法則だ。ところが、電車の床とともに人の足は前に動いてしまうので、後に倒れてしまう(③)。

右の「急ブレーキ」なら、動いている電車(①)が急停車しても、中の人は慣性の法則で前に進もうとする(②)。
ところが、電車の床とともに人の足は止まるので、今度は体が前に倒れてしまう(③)。

ところが、この現象を、この画像を見ている私たちのような「電車の外側からの視点」ではなくて、
電車の中にカメラを取り付けて中の人を映し、そのカメラが見た姿を考えてみよう。
すると急発進では、人が電車の後ろ側の方に動き出し、急ブレーキでは人が電車の前側の方に動き出したことになる。
実際、倒れた人にとっては、急発進のとき、なんだか知らないけど後の方に引っ張られるような力を感じ、急ブレーキのときは前に引っ張られる力を感じ、その力によってコケる。この力こそ慣性力だ(④)。

外から見た人にとっては、電車の中の人の体は「慣性の法則」を地でいっているだけ。「慣性力」なんて関係ない。
ところが中の人自身にとっては自分の体が力を受けていることを感じて、コケる。この力こそ「慣性力」だ。
外の人にはわからなくて、中の人にはわかる力。これが慣性力が「見かけの力」といわれるゆえんである。


追記(2013/9/14)
画像中の「急発進」「急ブレーキ」両方とも②の段階は、人の絵の点線と実線を逆にした方がわかりやすかったかな。と2年8か月後に反省…。

それは実際にあるのか(2010-01-11)

この「見かけの力」とか「仮想的な力」とか「実在しない力」としばしばいわれる慣性力であるが、「じゃ、それって実際にあるの?ないの?」という質問もよく見かける。

「実在しない力」ともいわれるので「そんなものはない」と横山光輝版三国志の関羽のごとく結論づけたくもなるけど、じゃあ、急発進や急停車した電車の中でコケてしまっても、慣性力は実在しない力だと言い張れるのか。

こういう話は、慣性系・非慣性系で説明もいくつかあり()それぞれ興味深い。

が、中学生レベルでもわかるような別の角度から説明してみたい。

電車の中に、リンゴを1個おいた。
このリンゴは、電車の外側にいる人にとっても、電車と一緒に動いている中の人にとっても「ある」と同意できる。誰もが「ある」と同意できる。万人が「ある」って同意できる。だって、リンゴという「物体」が実際にそこにあるという絶対的なことだから。

しかし、「力」はリンゴのような大きさや形のある物体ではなく、物体に影響をあたえる「はたらき」でしかない。ということはその影響を受けている立場の人は「はたらきがある(はたらいている)」し、受けてない立場の人は「はたらきがない(はたらいてない)」。つまり「はたらき」だと「物体」と違って、同じ場面でも立場(視点)が変わると「ある」「ない」に違いが生じる場合があり得る。

そして、電車が急発進や急停車したとき、電車の中でコケる人の当事者にとっては、慣性力はあるということになるけれど、それを電車の外から第三者的に見ていた人には「慣性力?何それ?」って話になる。

立場が変わると正解が変わるんだよ…そんな「オトナの事情」のような説明。慣性力を理解することは、もしかしたらオトナへの一歩なのかもしれません。。。
奇しくも今日(旧ブログでこの記事を更新した日)は成人の日。。。

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