PR

0363 「環境教育の理想と現実」フィードバック

「大気と水」の講義で、受講者からの感想や質問などがありました。いくつかとりあげてみます。

子どもたちに環境の正確な知識が乏しいのは親が正しい知識を身につけていないからではないでしょうか。
環境関係者は大人対象にも講話を行っていくことが大切なのではないでしょうか。

大変もっともなご意見です。環境に限らず、大人に対しても教育が必要だろうな…という分野はたくさんありそうです。
細々とそういう講習会などを開催している大学や研究所や博物館やNPOなどの組織もありますが、おそらくそれなりの関心のある人たちが集まるわけですから、知識の乏しい人、関心のない人はもともと参加しないのが現実です。また、意識を大きく変革させるのは、子どもよりも大人に対しての方が難しいのではないかと思います。さらに、学校という子どもが強制的に集まる場所があるということ、子どもはやがて大人になることを考えれば、大人よりも子どもを教育のターゲットにする方が現実的で効果的という結論になりそうです。

ただし、では「大人は手の施しようがないのか」というと、決してそうではなく、講義で紹介したKidsISOがやっているように、子ども主体の活動に大人を巻き込んでいくという手法もあります。KidsISOでは、子どもだけでなく、保護者の意識も変革したというデータがあります。

前期の授業で、ペットボトルがリサイクルされてカーペットになったものを見た子どもたちが「すごい!」といって感動していたのを映像で見たとき、予定調和だけでないものを純粋に感じてほしいなと思ったのですが…

その子どもたちが小学校4年生くらいまでなら、たぶん予定調和ではありません。ハードウエアとしての脳が完成するといわれる10歳までの直接体験は一生を左右するとても大切な体験です。この時期までに自然や環境をきちんと向き合い、遊んだりして頭よりモテや体を動かすことが重要です。このとき育まれた自然や環境を大切にする気持ちは、一生ものになるということが脳科学からいわれてい(ると私は理解してい)ます。なのに、小学校1・2年生に「このままでは地球は危ない!」なんて教えてしまうとエコフォビアになってしまい、ゆくゆくは環境に配慮しない大人になってしまうのではないかと思います。

温暖化によってツバルが沈んでいくことや氷がとけてシロクマが困っているというのはしばしば聞きます。しかし実際に豊かな自然を見て、こんな豊かさは守っていきたいな と気づくのも一つの方法ではないかと思います。

大正解です!「温暖化でこうなってしまう」と脅して「こうならないためには~」と説明して行動の変容を促すのは、即効性はあるかもしれませんが、あまり気持ちのいいものではないですよね。
実は私もそういうアプローチで環境教育をやっていた時代もあったのですが。教える側もやってて楽しくない。そこで、今は豊かな自然(とそこそこ便利な生活)をずっと守っていくために…というやり方で展開しています。

環境教育に温暖化懐疑論を持ち出すべきではないと思いますが、先生はどうお考えでしょうか

私は、温暖化懐疑論そのものには懐疑的な立場ですが(ただ、そういう考えがあってもいいと思います)、温暖化の授業では懐疑論を紹介しています。

環境にまつわることは学説も二分され正解がわかっていないことも多いです。そもそも「もっと不都合な真実」の問いのようにもともと正解が存在しない問題もあります。あるいは立場が変われば「正解」が変わってしまうこともあるでしょう。

この「多面性」という点は少なくとも中学生ならば扱っていいのかな、と考えます。たとえば「ディーゼル車を規制することで空気はきれいになるけれど、それまでディーゼル車で仕事していた人にとっては死活問題だよね」とひとこと教師が付け加えることで、子どもたちの考えや問題意識はグッと深まります。同様に、「どうして懐疑論なんかがあるのだろうか」という問いかけで、なんでもかんでも「温暖化」に結びつけるのではなく、より正しく温暖化を理解することに役立つ効果を狙っています。

ただし、「懐疑論」の取り扱い方には気を遣います。あくまでもIPCCがいっているような一般的な温暖化の話をきちんとして、おまけ的なトピックの一つとして扱うにとどめます。「肯定論」と「懐疑論」現在の主流はどちらかは明らかですから、子どもにもそのバランス感覚を誤らせないようにしなければなりません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました