「理科教育法」を受講している学生から、次のような質問を受けました。
塾で講師のアルバイトをしているのですが、授業をしていると、よく、漢字がわからなかったり、筆順を間違えたりします。やっぱり教壇に立つ以上、きちんとした方がいいですよね。
つまり、タイトルの通り、「漢字の苦手な理科教師はアリ?」というご質問です。
私の考えは、意外かもしれませんが 主文:あり です。
そりゃもちろん、できないよりは、できるに越したことはありません。
ただ、漢字が読み間違い程度では総理大臣として致命傷にならないように、漢字の筆順を間違えたところで、小学校や国語の先生ならともかく、中高の理科の先生なら、この1点をもって理科教師が務まらない、というほどの致命傷とはとうてい思えないのです。(ただし理科の基本用語などの漢字ミスは信用にかかわるので、精進しましょう)
漢字が苦手というマイナスを補って余りある魅力があれば、あっさりクリアできてしまいます。場合によってはそのマイナスすらプラスに見せてしまうことさえあります。
こんなケースを紹介しましょう。
授業をする先生は声が商売道具。声が小さければ、漢字が苦手以上に、致命傷と思えます。しかし、昔私が見たあの先生は…
小柄ですごく声の小さなおじいちゃん先生。ぼそぼそ小さい声で言っているのではっきりと聞こえません。普通だったらも生徒たちは「声が聞こえない」と不満を述べたり、生徒は騒いで話を聞かないでしょう。でもその先生の授業は違った。声が小さいがゆえに、その声を生徒が真剣に聞こうと、シーンとしていたのです。
一見さんの私にはわからないけれども、おそらくはそのおじいちゃん先生と生徒の間の何か強い絆があり、生徒たちは先生の魅力を感じ取っていたのでしょう。もしかするとそれはおそろしく芸術的なまでに微妙なバランスのもとに成り立っている授業でしょうが、それだけに、うまく表現できないのですが、何か壊してはいけない「美しさ」を感じました。
「あの先生~だけど、やっぱりスゴイ!」というものがある人は、強いんですね。
ただ、そこまでの魅力のウラには、相当な努力があることも容易に推察できます。おそらくは、大きな声で話したり、漢字に自信を持つためにする努力の何倍もいりそうな…。(もしかしたら「天賦の才能」というケースもあるかもしれませんが)
ということで漢字が苦手でも、そんなことどうでもいいと吹っ飛んでしまうような魅力を持ては、無問題です。しかしそれだけに、簡単なことではないし、おそらくは誰でもできる、というわけではないと思いますが。
そこまでの魅力がないのに、常識的な漢字が書けないのはただの残念な先生かもしれません。
そんなお答えをしたら、質問した学生から
回答ありがとうございました。まだ教員になるまでに時間があるので、漢字を克服しようと思います。
とコメントが返ってきました。普通はそうだわな。「主文:あり」といっても、かなり特殊な「あり」ですから。
歯の浮くようなきざなせりふも、田村正和なら許される、いい歳してブリッ子するのも、松田聖子なら許される(20歳そこそこの学生ではイメージしにくい例えで大変恐縮です)。超えてるから。でも一般人がまねしたら、大ケガする。だから普通はそんなコトしないけど、「超えてるキャラ」になるのも悪くないかも、と最近思ったりします。
一方で何か別の大切なものを失ってしまいそうな悪寒もしますが
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