0751 理科教師のための作問入門(7) 思考・判断・表現

 「知識・技能」を見る問題はすでに作れる、「主体的に学習に取り組む態度」を見る問題は無理だとわかっている、現実的に作れそうなので、作問のコツを知りたいというのが「思考・判断・表現」なのではないでしょうか。

 以前、理科教育法と教育実習を指導したある学生さんが、一を聞いて十を知る、いう感じで大変優秀だったので、大学院に進学するなら…と非常勤講師もお願いしました。で、定期試験が近づいたので理科教育法や教育実習ではあまり具体的にできなかった実践的な評価の話をその方にしました。そうしたら「授業でやった観察や実験の考察などをそのまま試験で問うのは、覚えているかどうかを問うわけですから、観点は思考ではなく知識になるのではないですか」と、『鋼の錬金術師』のショウ・タッカーから、例の名セリフが飛び出しそうなツッコミを受けたことがあります。ちなみにその方は、大学院を出たら教師ではなく民間の企業に就職されました。ナイス判断。やっぱ優秀だわw

 しかし、この方が指摘されたように、授業のときにはじめてやって考えるときなら当然「思考・判断・表現」だけど、一度やってみて、そのやり方や結果含めた流れを覚えたら、それを問うのは知識じゃないの?というツッコミは、かなり本質をついています。
 現実的には授業で行った科学的な探究の過程にそって構想や分析・解釈を、そのままテストに出すというのは「思考・判断・表現」を測る問題として扱われます。しかし、例えば、金属と酸素の質量比の問題なんかは、授業でやったように丁寧に実験結果を分析・解釈していけば答えが導けるものの、数字を覚えていれば一瞬で答えられることもあり、覚えていた数字を答えただけなのに、この生徒は「思考・判断・表現」の力があるといっていいのかと言われると、たしかに苦しいですよね。

 そうすると「思考・判断・表現」を測るのは、地層のの基礎的・基本的な知識をチバニアンで活用したり、メンデルの法則をエンドウ豆でやったから、それとは違う事例でメンデルの法則を活用していけるかのような、今まで生徒が授業などで体験したのない場面や事象をもとに、授業で学んだ手法を使って探究できるか、ということになりそうです。
それでも旧「適用」になってしまうと「知識の概念的な理解」となって「知識・理解」ですが…

 そして、作問側としては大変面倒くさいことに、試験のたびに新しく作問を続けなくてはなりません。
 というのも、塾なんかは入試問題から定期試験まで、過去の試験問題を集めていて、それを生徒に問題練習をさせていますから(塾がこのブログの記事や写真を教材にするのは全く構いませんが、定期試験の問題を集めて、翌年以降のその学校の生徒に「過去問だ!」と言ってやらせるのは著作権料よこせ、ていうかそんなことするな!)、出題者側が別の生徒に対してでも同じ問題を使うと「あ、この問題!進○ゼミでやったやつだ!」となって、単なる知識再生の問題となってしまいますからね。
 なので、新しい問題を作りづづけなくてはいけないわけですが、それを一人でやるのは持続可能ではなさそうですよね。

 そういう事情もあり、授業で行った科学的な探究の過程にそって構想や分析・解釈を、そのままテストに出しても「思考・判断・表現」とせざるを得なかったわけです。

 でもこのシリーズでは、あえて本来の「思考・判断・表現」の力を測ることのできる問題作りを、あわよくば持続可能に続けられるようにどうしたらいいか、そのための小手先のテクニックや姑息な出題パターンみたいなものを考えていこうと思います。

 やっと評価の話が終わった…

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